『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

学校の「常識」

今日は、学校で大切だと言われていることが、外から見れば全く重要視されないんだよね、と改めて感じる出来事がありました。

私は、学校にもっと「外の人」が入ってくれれば良いのに、と思っています。そうすれば、学校で常識と思われていることが、あっという間に崩れていくだろうな、と想像しています。もちろん、それで困る人も少なくないでしょう。けれど、困るのは多分、「ほぼ教員」じゃないかな。児童はそれほど困らないんじゃないかな。むしろ、児童は助かるんじゃないかな。なんてことを考えていました。

 

最近、家庭の事情もあり、『学び合い』の会に出られていません。そろそろ出たいな。色々と溜まってきています。ガス抜きが必要そうです。

6年担任で最も大変なことは

この土日には、「6年担任」に関する質問を二ついただきました。
一つは学級経営に関わること、もう一つは教科の進め方に関わることでした。『学び合い』では最終的にはどちらも繋がってくるのですが、多分、質問を寄せてくださった方の立ち位置とか悩みとかによって、質問の出方が違ってくるんでしょうね。

 

私は17年間の教員経験の中で、7回、6年生を担任しました。そして、年々、6年担任が大変になっていくのを実感しています。何が大変って、時間です。
多分、ほとんどの学校で、6年生は余剰時数がほとんどないでしょう。でも、行事はたくさんあります。校外に出る行事も多いですし、学校行事のたびに、準備や片付けもあります。また、卒業アルバムの作成なんかもあります。こういった時間がちゃんと「授業時数」として計上されていれば良いのですが、色々な学校の話を聞くと、なかなか難しいところもあるようです。となると、授業以外の時間=休み時間や放課後を使うようになり、子供たちは息つく暇もなく、朝から夕方までやるべきことに追い立てられるようになるのです。

 

そして、困るのが
「そうなんだよね。6年担任は忙しいんだよね。俺も昔は大変だったよ」
という立ち位置の方々。あえて誰とは書きませんが。
そうなのです、昔から6年担任は忙しかったのです。私が初めて6年担任をした16年前もそうでした。きっと、20年前も、30年前もそうだったのでしょう。でも、今は「レベルが違う!」と思います。15年前もベテランの先生方は「学校から余裕がなくなった!」と嘆いていました。けれど、その後もどんどん余裕は削られているのです。
私が以前、卒業アルバム作成の時間を何とか「授業」として確保しようとした時、ある方から反対されました。

私「卒業アルバム作成って、6年担任の業務ですか?ボランティアですか?」
ある方「それは、業務だろう」
私「だったら、ちゃんと時数を計上してください。何の授業としてやれば良いのでしょうか」
ある方「そんなのは昔から余剰時数とか、学活とかを使ってやってたんだよ」
私「昔って、何年前の話ですか?今、6年生にどれくらい余剰があるかご存知ですか?学活も35時間中、防災教育や放射線教育などにどれくらい使っているかご存知ですか?それは無理な話ですよ。それを学校全体が理解していないから、高学年担任を引き受ける人が減っているじゃないですか?」
なんて生意気で失礼なやり取りをしたことがあります。

 

というとで、6年生担任の皆さん、忙しさに負けずにどうにかこうにか余裕を生み出してくださいね。そのために「学習すべき内容をやらない」というのは許されませんが、でも、深い学びと時間的余裕を両立することは可能です。その具体例をこの本で示しました。

子どもの書く力が飛躍的に伸びる!  学びのカリキュラム・マネジメント

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最後は宣伝かよ!(笑)

大人にする

学校は、子供たちを大人へと成長させる場です。

が、ここ数年、大人にする前に、まずは子供にする必要を感じています。なぜなら、まだ子供にもなっていない状態だから。言わば「赤ちゃん」のような状態。

言葉によるコミュニケーションより、泣いたり暴れたりして感情表現する。これ、あんまり学年に関係ないんですよね……。

まあ、でも、子供たちが悪いんじゃないのは分かっているので、じっくり焦らずやるしかないんですけど。そう、子供たちは悪くないんです。もちろん、親のせいでもありません。まあ、原因の話は置いといて、対処法は簡単です。

まずは、コミュニケーションの量を増やす。そして、何事も、失敗しても繰り返し「自分でやる」経験をさせる。そのうち徐々に育っていきますから。