『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

梅雨明け?!?

最近ずっと、晴天というものを見ていないように思います。梅雨明けしたはずなのになあ。

ジメジメした日が続くと、神経痛がひどくなるのは、気のせいでしょうか。腰が痛い…足が痺れる…。

 

梅雨が明けたような気がしなくても、夏季休業は過ぎていきます。二学期に備えて、今日は一日、授業準備。でも、ほとんど進みませんでした。

休みでダラけているのもありますが、それ以上に子供達から離れているのが原因かもしれません。ジメジメした天候と合わせて、モヤモヤとした1日でした。

 

 

全体に語る

20代の頃の経験です。

行事の後に、思うような結果が出なくて落ち込んでいた子に
「結果はどうあれ、お前が一番頑張っていたのを、俺は見ていたよ」
なんて言ったことがあります。その子を元気づけたい気持ちから言った言葉でしたが、他の子から

「人の頑張りに一番も二番もない」

と「叱られ」ました。

ああ、小学生を甘く見てはいけない、とその時に学びました。同時に、一人を喜ばせるために発した言葉は、集団にとってはマイナスになりえるのだとも学びました。一人のモチベーションを上げようとした言葉が、他の子供達のモチベーションを大きく下げたのですから。

それ以降は、たとえ一人にだけ伝えるものであっても「他の子に聞かせられる言葉かどうか」を考えるようになりました。すると、意外と多いんですよね、「その子には言ってもいいけど、全体には言えないこと」って。

 

そして、現在は、基本的には「語る時には、全体に語る」ようにしています。学級のルールや目標の確認など、学級づくりの根幹に関わることはもちろん、誰かを褒める時や逆に「これは駄目でしょ?」と確認するような時も、全体に語ります。語りたいことがあるけど欠席者がいるから止めておく、なんて時もあります。全員揃うのを待った結果、機会を逸したこともありますが、それくらい「全体」を大切にしているのです。

ある担任が個にした話と全体にした話が矛盾していたために、学級内が大揉めに揉めたのを見たこともあります。その後のフォローが大変でした。こういうのって、言ってる本人は気づかないんですよね。ということ、私もそういうことが、まだまだあるんだろうと思います。まだまだ修行ですね。

 

自分もやらなければいけない

学級で児童に求めていることを、私自身ができているか、と問われるとちょっと返事に詰まってしまいます。自信を持って「はい」と答えられない自分がいます。

 

  • 一人も見捨てないことが、自分を守ってくれると納得しているか。
  • 多様な人と繋がることが得だと分かって行動しているか。
  • 人を攻撃することが損だと分かって行動しているか。
  • 自分の「同僚」をより広げようと意識して行動しているか。

 

「なかなか無茶なことを小学生に求めているよね」と思ってしまうことがあります。が、求めれば子供達はやれちゃうんですよね。そして、それを児童に求めている以上、自分もやらなければいけません。

  • 一人で全てをできる人はいない。自分ができることをやる。

これも子供達に求めていることです。

ということで、私は、私ができることをやっています。頑張れ、俺。くじけるな、俺。