『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

均質

今日は校内の研究授業。他学年の主任の先生が、『学び合い』で授業してくれた。私のクラスと合同『学び合い』をやってくれたり、課題作りや言葉掛けについて質問してくれたり、若い同僚に『学び合い』を勧めてくれたり。そういう方なので、『学び合い』との相性もバッチリ。とても良い授業だった。

 

参観者から出された意見も概ね好意的。もちろん、疑問の声もあったが、私にとっては「想定通り」のものだ。

「自力解決の時間があった方が良かったんじゃないか。」

「教師がしっかりとまとめをした方が良かったんじゃないか。」

「単元の中で、教師が教える時間と『学び合い』の時間を分けることが必要じゃないか。」

といった、ある意味で定番の意見を聞きながら、(やっぱりどこでも同じだよね。)と感じた。こういった声は、私が今までに何度となく耳にしたものだ。きっと、多くの『学び合い』実践者も経験しているだろう。

それだけ、日本の教育は良い意味で「均質」なのだと思う。レベルがそろっている、というのはすごいこと。日本の公教育が胸を張って良いところだ。

 

ただ、それは同時に、全国各地の学校が、同じような問題を抱えていることも表しているだろう。同時多発的に、学校が疲労骨折していく日はやはり近いかもしれない。

良い授業を見ることができて、嬉しい気持ちが半分。もっと急がなくては!と焦る気持ちが半分。

複雑な心境である。

来年も札幌へ

一昨年も昨年も今年もお伺いしましたが、来年も札幌にお伺い致します。

2月8日 これからの教育を考えるセミナー2020如月in札幌(北海道)

一年ぶりに、「みゆき会」の3人が集まります。最近、このブログの読者となってくださった方は「みゆき会」をご存知ないかもしれません。みゆき会とは、簡単に言うと、この本を書いた3人組です。

子どもの書く力が飛躍的に伸びる!  学びのカリキュラム・マネジメント

子どもの書く力が飛躍的に伸びる! 学びのカリキュラム・マネジメント

 

最近の坂内さんは、何やら面白いことを考えているようです。どんな話が聞けるか、私自身も楽しみ。古田さんは、どんどん新しいことに挑戦しているので、それも聞きたい!

一方、ここ数年の私は『学び合い』を「縦方向」から「横方向」にシフトしてみました。上手くいったことも、イマイチ上手くいっていないことも含めて、「なぜそうしなければならなかったのか」と「どんなことをしてきたのか」をお話しようかな、と考えています。今回は、直球な発表になると思います。

坂内さん、古田さんの前で発表するのは、安心感もあるけれど、その何倍も緊張します。この二人の前では、少しも手が抜けません。

 

北海道の皆様にお会いできるのを楽しみにしています。

話は簡単でも、実践は難しい。

今日は校内の持久走大会。土曜日に学習発表会があったばかりなので、なかなかのハードスケジュールである。身体面よりも、精神面で疲れている子が多かったようだ。

でも、このクラスの子たちはすごい。1、2校時に持久走大会があっても、その後の3、4校時には普通に勉強している。社会科は新しい単元に入ったが、1時間で単元の半分以上進めた子もいた。算数科は、明日がテスト。最近は点数が向上傾向。明日はどうなるだろうか。

 

私のクラスの子供たちが、疲れる行事のあとでも普通に勉強できてしまうのは、理由がある。それは、私が普通に授業をするからだ。以前の私は、大きな行事の後には

「疲れてるだろうから、勉強は無理だよね」

と、授業じゃない活動を設定していた。そういうことが続くと、「疲れている時は勉強しない」ことが普通になる。逆に、どんな時にも「勉強の時間は、勉強する」ことを続けていれば、勉強することが普通になる。

もちろん、中には

「疲れたー。勉強やだー」

という子もいる。そりゃそうだ、なかなか頑張れない時って、誰でもあるよね。だがしかし、申し訳ないけれど、それには付き合わない。学級経営の軸は、そこには置かない。軸になるのは、頑張る子である。正確に言うと「一人も見捨てずに頑張る子」だ。そして、「今日は疲れてる人もいるだろうけど、みんなで頑張ろー!」と求める。これまた正確に言うと、私は言葉に出していない。でもちゃんとわかってくれている子がいる。

学級の軸になって全体を回してくれるのは、そういう子なのだ。だから、そこに合わせて、行事の後にも普通に授業をする。すると、普通に勉強するクラスになる。頑張れない子は、みんなで助ける。簡単な話である。

 

だけれど、これを実践するのは難しい。どうしても「疲れた」「やりたくない」という子のことも考えたくなる。そう言いたくなるのは、様々な事情があるからだし、担任をしていると、その事情も分かってしまう。それ故に、そういう子に「勉強しよう」と求めるのが酷な気持ちも湧き上がってきて、

「今日ぐらい、まあ、いいかな」

と言いそうになる。

 

が、それじゃ、駄目なのだ。それをしてしまうと、徐々に全体が崩れる。だから、普通に勉強するしかない。

と分かっていても、時々、気持ちが揺れる。本当に駄目な私である。