『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

大前提

『学び合い』も多様であるべきだと思います。
どんな方法があっても良いし,どんな方法をとっていても否定はしません。
例えば,わたしは,ホワイトボードミーティングはやらない方が良いと思っていますが,やっている人を否定しません。わたしは,やらないってだけです。
他にも,従来指導型『学び合い』でも良いし,「はい,どうぞ」をやらなくても良いし,教師が教える場面があっても良いと思っています。

でも,絶対に譲れないものがあります。
それは「一人も見捨てない」。これを忘れたら,それは『学び合い』ではないと思います。『学び合い』の大前提だと確信しています。というと「じゃあ,わたしは『学び合い』やめます」なんていう人が出るので言いたくないのですが。でも,譲れません。
教師が「一人も見捨てない」を忘れると,学級は一気に崩れると思います。教師の影響は,甚大ですから。
教師が忘れた瞬間,子どもも楽な方に流れます。今までの積み重ねはもろくも崩れ,教師も子どもも辛くなります。辛いから忘れてしまうのか,忘れてしまうから辛いのか,どっちと言えば良いかは難しいですね。わたしは後者だと思っています。


人間ですから,時には忘れるでしょう。
だって,みんないっぱいいっぱいですから。俺だって辛いっての!
でも,辛い時,苦しい時にこそ考えるべきです。「一人も見捨てない」とはどういうことか。
もちろん,「一人も」には教師も入っています。教師が辛い『学び合い』も続きません。
「一人も」が「学級内の一人も」か「学年内の一人も」か「学校全体の内一人も」か「日本中の一人も」かは,先生によって色々でしょう。
わたしは,「学級内は当然,出来る限り学校全体も。日本中とは言えないけれど,でも,出来るだけ多く」見捨てたくないと思っています。
どんな範囲であれ「一人も見捨てない」が前提です。「こいつは仕方ない」と教師が思った瞬間,『学び合い』はただの活動的で無秩序なグループ学習になり下がります。それを力技で抑えるのは辛いでしょう。体力的にも,精神的にも。
子どもは教師の腹を読みます。隠せると思っているなら更に危うい。子ども集団の力を甘く見ているわけですから,さらに『学び合い』は崩れるでしょう。


『学び合い』とは,「一人も見捨てない」を具体化したもの。
西川先生のこの言葉は,わたしにとっての宝物です。

つづく。