『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

  [『学び合い』のあれこれ]見捨てないってどういうこと?

「『学び合い』とは、一人も見捨てたくないという願いを具体化したもの」
わたしは、西川先生のこの言葉が大好きです。
わたしにとっての『学び合い』の全てと言ってもいいくらいです。

一人も、については昨日のエントリーに書きましたので、今日は「見捨てない」について書きます。
「見捨てない」って、具体的にはどういうことなんでしょう。
わたしが考えていることは簡単です。「勉強」ができるということです。だって、わたしは教員ですから。学習を通して、子ども達を成長させるのです。

『学び合い』の初期段階では、「今日の課題をみんなができる」ということで十分でしょう。いわゆる「みんなができる」です。
でも、それだけで1年間通すのは難しいはずです。
『学び合い』によって最も伸びるのは、「得意な子」達です。その子ども達をドンドン伸ばさないと、学級全体が停滞します。ですから、課題のレベルを上げる必要がでてきます。
けれども、そうなると「苦手な子」達をおいてけぼりにしてしまうような気持ちに、教師はなってしまいます。子ども達はそんなつもりはないのです。あくま教師側の問題です。それなのに教師は言うのです。
「みんなができていないじゃないか!ナニヤッテンダヨ!チャントタスケロヨ!」
こうなったら、勉強が得意な子にとっては『学び合い』なんてやらない方がマシでしょう。
手引きには、確かにこんな感じのことが書かれています。でも、それはテクニックに過ぎません。しかも、初期段階には極めて有効だけれど、ある程度『学び合い』が成立したら使ってはいけないテクニックです。

じゃあ、どうすればいいの?
という声が聞こえてきそうです。あえて言います。
「初期段階のウチに、次の展開を考えておかないのが、悪い」
『学び合い』はテクニックではない、考え方だ!なんてさんざん言われています。「教師の言葉も、やっていることも、全てテクニックであり、いつか必要なくなるのだ」という自覚が必要です。
「手引き書」にもちゃんと「削ぎ落とす」ことの必要性が書かれています。それも読まずに、子どものせいにしているのが、大きな間違いです。

削ぎ落としましょう。例えば、80点という数値も。「今日の課題をみんなができる」が『学び合い』の課題だという思い込みも。全部、添いじゃいましょう。
そうすると、次の地平が見えてくるはずです。「一人も見捨てない」とは、ただ単に「みんなができる」というだけじゃないということが見えてくるはずです。というか、『学び合い』の基本に立ち返れば、当たり前のことのはずです。

回りくどいですね。
本を出す時は、ずばっと書こう。
ブログには書かない!