『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント 繋がる国語科 アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

福島県の小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。

当ブログの内容は、全てなおたかの個人的見解です。


原点に

最近、色々と考えていたのですが、考えすぎて「言葉遊び」のようになってしまい、言葉に出来ずにいました。
「誤解のないように」と思えば、表現が回りくどくなり、「誤解されても良い」と開き直り過ぎると、雑な言葉になってしまいます。
伝えるって難しいですね。(だから、多様性が必要なのですけれど。)


そう思って悩んでいたら、以前のブログに書いた文章が残っているのを発見しました。1年くらい前に書いたものでしょうか。
自分で読んで、「ああ、そうだよね。」と思ったので、もう一度、ここに載せてみます。


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わたしは、『学び合い』とそれに対する周囲の反応を、料理人とレストランに例えて考えています。それが、わたしのこれからやりたいことに繋がってきたので、つらつらと書いておきます。

教員=料理人 児童=客   です。


ほとんどの料理人は、自分の店には常連客が存在し、そこそこ繁盛しているので、自分の味は「まあ悪くはないだろう」と思っています。エコだ、健康だ、産地がどうだ、と年々求められることが増えていく中で、苦労しながらも頑張っているのだから、立派です。中には、「儲かればいい」と適当な料理を適当に提供するレストランもありますが、そんなレストランは倒産しています。(でも、実際の学級だと、潰れてもお客さんは通い続けないといけないのが悲劇的ですが)


一部の料理人は、自分の料理の味に絶対の自信を持っています。そして、「日本料理こそ、世界一だ!」「いや、中華こそNo.1だ!」「フレンチに比べれば、他の料理なんて…」と、自分の「所属」にも誇りを持っています。それなりの才能と努力によって今の地位を築いたのですから、とても立派です。実際に、ほとんどのお客が大満足で店を後にします。


さて、そんな中、
「すべての客が満足する料理なんてありはしないよ。あなた達の料理を不味いと思って食べている客は、3割くらいはいるよ」
「料理人が料理するより、客が相談しながら自分たちで料理をする方が、みんなが満足する料理が作れるんですよ」
「お客には、旨い料理を作る力があるのです」
「世の中には、美味しい料理のレシピがあふれていますからね。それを見れば、作れちゃうでしょう」
と主張するグループが現れました。
N氏を中心とするグループMです。


当然、ほとんどの料理人達は反発します。
「客に料理させるなんて、料理人としての責任はどうなる?」
「衛生管理はどうするんだ!」
「そもそも、この俺様よりも旨い料理を、素人の客が作れるわけがない!自分たちで作って満足しているだけだろう。本当に旨いはずがない!」
かなりの拒否反応。
でも、グループMの人達は、こともなげに言うのです。
「美味しい料理があって、お客がそれを食べて満足できるなら、誰が作ったかなんて関係ないでしょう」
「料理人よりも衛生管理に厳しい人が、お客の中にいるもんですよ」
「食べたら分かりますって!」


料理人達は、青筋をぴくぴくさせて怒ります。
「そんな店に入った客がかわいそうだ」
「料理しない料理人って何だ?お前らアホか」
「何ふざけたことを言ってんだ、この馬鹿!」
「お前ら、料理人として最低だ!」
「そんなのただの料理教室じゃねえか!」


でも、グループMの店は、今更、料理人が料理をしようとしても無理です。
だって、お客が許しません。
「自分たちでやるから、邪魔しないで下さい」
「見守ってくれてるだけで、十分嬉しいです」
そんなことを言われちゃいます。
ですから、もう自分で料理をしたいとは思えません。「ああ旨かった!」「また来るよ」の声がお客みんなから聞こえるのですから。

ということで。
わたしは、自分が「完璧な料理を作る料理人」にならなくても良いのです。
むしろ、「完璧な料理」なんてないと思っているのですから、それを目指せません。
わたしの教室が、わたしのクラスの18名にとって「満足できる料理が作れる場所」であれば、大満足です。
むしろ、卒業後も自分で料理が作れる方が、人生に役立つに決まっています。


今現在、わたしがやりたい仕事は、そういうこと。

これからどう変わるのか。
それとも、変わらないのか。
ということで、これを書いておきました。

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今のわたしは、この時から、基本的なスタンスは変わっていません。
でも、非常に大きく変わったのは、『学び合い』に対して、どの程度必然性を感じているかです。
motoryouさんも書いていらっしゃいまいしたが、今後、被災地の子ども達が生きていくのに、『学び合い』は必須だと感じています。『学び合い』でなくちゃやってられない。裏を返せば、『学び合い』ではない学級で、苦しんでいる子ども達が大勢いるのです。


急いで『学び合い』を広めなければいけないと強く感じています。
「一人も見捨てない」を本気で求めなければいけないと強く強く感じています。