『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

改めまして

これに関して。

http://d.hatena.ne.jp/nao_taka/20120107/1325887560
http://d.hatena.ne.jp/nao_taka/20120108/1326010361


読み返すと,大変,失礼な内容だったと思います。申し訳ありません。この場で謝罪させて頂きます。
わたしは,特定の技術に対して,善し悪しを論じたいのではありません。


わたしは,『学び合い』の初期は,学級の関係作りに全身全霊を傾けるべきであり,使用する技術は,その観点から選ぶべきだし,その技術は,いつか必要なくなるべきだ,と思っています。その時,何を使って何を捨てるのかを決めるのに,もっと真剣になるべきであり,流行り廃りに流されてはいかん!ということが,言いたかったことの1点目です。
「流行ってるから,やってみるか」じゃ,絶対にうまくいかないけれど,そうなりがちでしょう?わたしだけですか?そのため,わたしは,意図的に「流行りモノから一歩引く」ことで,流されないようにする時があります。


また,『学び合い』を続ける中で,必ず壁にぶつかる時がきます。何度もありますよね?そんな時に,安易に妥協せず,強く「みんな」を求めることは必要です。でも,その時の「強く」が難しいと思うのです。「語気を強く」しても,子ども達は辛くなるだけ。でも,やってしまいがちですよね?これもわたしだけ?
本当は,「信念を強く」しなくてはいけないと思うのです。「ゆるがない」と言ってもいい。「お前たちなら出来る。そして,みんなが出来るようになることは,絶対に大切」と信じ続け,語り続けなくてはいけません。
わたしが知る中で,最もその信念を感じるのは,西川先生です。時々メモに書かれる学生さん・院生さんへの「嫌み」や「プレッシャー」は,ユーモラスな口調だけれど,「お前たちならできる!そして,絶対にやるべき」という思いが強く強く表れていますよね。
西川先生に負けないくらい感じるのが,坂内先生です。坂内先生は「みんができるを捨てるべき」とおっしゃっています。それを「できない子がいてもいいんだ」と捉えることもできます。けれども,わたしがその言葉から感じることは,全く違います。そういう坂内さんが,人一倍「みんなができる」を大切にしているように感じるのです。
だって,「今はできなくても,ずっと学び続けていけ!とことん学び続けろ!そうすれば,大人になるまでに,できるようになる!」って言うんですよ。子ども達を信じ,見据えている「期間」が違うんですよね。わたしも,5・6年先まで見据えて指導してきたことはありますが,坂内さんは10年・20年いや,もっと先(50年?100年?)を見据えているんだなあと感じます。しかも,本気で。逃げじゃなく。責任逃れじゃなく。(だからこその「放射線教育」なんですよね!)坂内さん,違いますか???
「俺は,そこが一番,負けてる!くそ〜!」って思ってます。(いや,「まだだ、まだ終わらんよ!」と言ってやる!)
授業で勝負になってくるのは,そういった強い信念に基づいて「今」何をするか,何をさせるか,なんですよね。正に,『学び合い』の学校観。

どんなに優れた技術でも,その基盤となる信念がなければ,うまくいかないだろうなって思います。これが2点目。



そして,そして,『学び合い』が進んでくると,「学級づくり」の観点だけでは停滞するんですよね。
わたしはまだ,「学び合い1年生」です。(一学級でしか『学び合い』をしていないので。)だから,「学級がある程度まとまった後」の実践が弱い。初期と同じようなことだけをしていては,絶対にうまくいかない,ということは身を持って分かってきました。
ということは,『学び合い』がなかなかうまくいかない・『学び合い』を始めたばかりで不安だ,という人が求めていることと,『学び合い』をどんどん進めて行くぜ!切り拓いていくぜ!という人がやっていることは,絶対に合わないということでもあります
でも,真似したくなっちゃうんですよね。これまた,わたしだけでしょうか?
けれど,今の学級に何が必要かを見極める「力」は,担任として持っていたい。それを意識しないで,安易に飛びついてはいけないし,逆に,安易に批判してもいけないぞ。というのが3点目です。


繰り返しますが,「○○の技術はだめだ」「○○を使っている人はだめだ」という話ではございません。




やっぱり,長くなるなあ。
文章がうまくなりたい。

以上でした。
失礼いたしました。