『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

間口の狭い授業

前のブログでも書きましたが、わたしは「授業は、間口(入り口)が狭い方がいい」と思っています。
ですが、多くの方は、授業の間口は、広い方が良いと思っています。

以下は、以前のブログで書いた文章です。

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国語であれば、こんな感じの授業をよく見ます。
「物語を読んで、場面の様子を想像しよう。」
こんな指示をした上で、こんなことを言います。
「想像には、正解はないんだよ。感じ方は人それぞれ違うんだから。文章を読んで、好きなように想像してごらん」
そうすると、子ども達は自由に想像を始めます。
広くとられた学びの間口のあちらこちらから、自由に出入りをするのです。

無秩序な空想です。

当然ながら、このままでは学びの成立は困難です。子ども達は、動けなかったり、迷走したりします。授業者の意図通りに動く子はほとんどいません。(これは『学び合い』のゴチャゴチャとは種類が異なるゴチャゴチャです)
それでは困るので、授業者は半ば無理矢理、子どもの思考を制御します。
ところどころにチェックポイントを設けるのです。
例えば。日付を書く。めあてを赤で囲む。音読をする。サイドラインを引く。大切な言葉を確認する。良い意見を全体に広げる。意見をまとめる。などなど。
こういう事をしなくても、本当は「物語を読んで想像する」ことは可能です。というか、大人になって、こんな事をしながら読書している人なんて極少数でしょう。居ない、とは言いませんが。

こういうのは、読解力を高めるための指導ではないのです。授業の間口を広げ過ぎたので、無理矢理子どもの思考を制御するための指導なのです。
それが授業のほとんどとなっています。
くだらないことです。
しかも、「正解はないんだよ」などと言っておきながら、実際は授業者が「正解」を用意し、そこに誘導しようとします。

細々とした「スモールステップ」は、全てが「正解」に誘導するための罠なのです。
賢い子はそれを見抜き、授業者の腹を探ります。でも、腹を探るのは疲れます。簡単ではありません。間違えれば恥をかきます。怒られることまであります。中には馬鹿らしいと思う子もいるでしょう。
だから、高学年になると発言する子が激減するのは当然です。
間口は広いくせに、出口(授業の終わり)はもの凄く狭いのです。しかも、出口を見せると子ども達はやる気がなくなると勘違いしているので、隠すことも度々あります。だから、子ども達はますます迷走し、授業者は更に制御しようと、スモールステップを細かくし、誘導的な授業になるのです。

実にくだらない。

でも、間口が広い方が良い、その方が子どものやる気が高まる、と思っているので、事後研では「スモールステップの構成が悪かった」「あそこで、全体の確認をするべきだった」「教師の支援が…」という反省が出ます。

授業者の誘導がうまくいかなかった、という反省が続くだけ。

わたしが考えているコトとあまりに違うので、何も言えません。
すかしっぺでもしている他に、何が出来るのだろう、と思います。

そうじゃないと思うのです。
入り口は狭くていいのです。
「今日は、情景描写とは何かを理解しなさい。そして、情景描写を基に場面の様子を読み取りなさい。更に、自分が想像したことを、根拠を示して説明します。それを図を用いて説明します。」
わたしは『学び合い』以前から、こんな風に、授業でやることを明示してきました。
授業の始まりでやるべきことを示せば、子ども達はこれ以上、あれこれ言わなくても動ける。これは、皆さんがご承知の通りですよね。

授業の間口は狭いのですが、そこさえ通れば、あとは自由に動くことが出来る、という方が学び易いに決まっています。スモールステップなんて邪魔です。
その究極の姿が『学び合い』だと思います。

『学び合い』を知るまでは、任せ具合が中途半端でした。それまでは、途中で、幾つかのチェックポイントが必要だと思っていたのです。
子ども集団の有能さを甘く見ていたからだと思います。

でも、『学び合い』に出会い、最初の課題設定と、最後の評価をしっかり行えば、途中のチェックはほとんどいらないことが分かりました。
最初の語りと課題設定で、間口をしっかりと絞る。その上で、子ども達は自由に、主体的に動く。

だから『学び合い』は、ゴチャゴチャなようで秩序が保たれ、学びが成立するのだと思います。
わたしが求めていた理想の授業が、そこにありました。

まさに、縦横無尽、です。

二学期の終盤には、もしかして毎回の課題もそんなに重要じゃないかも!ということに気付きました。
課題が要らないわけではありません。
「みんなができる」という究極の課題が学級に課せられているので、十分に間口が絞られているのです。
本当の意味で「みんな」を達成することは極めて高度な課題です。

わたしは、それを十分に理解した上で、子ども達に求め続けたいと思います。


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なかなか良いこと言いますね、わたし。
最近、授業の間口が、知らず知らずのうちに開いていました。
気の緩みです。

パンツの緩みは、ゴムの緩み。
クラスの緩みは、わたしの緩み。

子ども達と「今週は、巻き返し週間だ!」と言って、頑張っています。