『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

発達段階

ちょっと出遅れた話題ですが。


わたしは「発達段階」という言葉を信じません。
教員になってからずっと違和感を感じていましたが、西川先生のこのエントリー
を拝見して、納得し、それからは全く信じていません。

便利な言葉だと思います。
指導がうまくいかない時には「発達段階が…」。
指導に手を抜きたい時にも「発達段階に応じて…」。
怖いです。どんな子どもにも「出来なくていい」と教師が判断してよいことなんてないのだと私は思っているので、その便利さが怖く感じます。

息子と娘を見ていると、身体的な発達と知的な発達がリンクしているのは感じます。2歳児と4歳児に出来ないことは、当然あると思います。
けれど、2歳児や4歳児に出来て、35歳の父(わたしです)に出来ないこともたくさんあります。
2歳の息子に出来て4歳の娘に出来ないことだってあります。(例えば、息子は懸垂が出来ますが、娘はできません)
年齢による「発達段階」なんて、「色々」だし「それぞれ」だとも言えるし、同時に「何歳だって大して変わらないよ」と思っています。


わたしは高学年を担任することがほとんどでしたので、2年前に3年生を担任した時は「これは出来るかな?これは難しいかな?」と心配したこともありました。でも、やってみれば出来るものです。案ずるより産むがやすし。


「そうは言っても、3年生と6年生では違うでしょう?」
という声も聞こえてきそうです。そりゃあ違います。それは「経験」と「立場」の違いです。
人間の能力なんて、相対的なものです。
人間の言動なんて、周囲との関係性で決まるんです。
「発達段階」で決まるのではありません。


発達段階なんて言葉がはびこっていることに、わたしは教育界の「問題」を感じてしまいます。
出来ない原因を、子どもに押し付けているように感じてしまうのです。