『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

「一人も見捨てない」を改めて考えた

『学び合い』は,一人も見捨てない教育です。


何度か書いていますが、わたしは,この言葉が好きです。
それは,わたし自身が「見捨てられた子」だったからであり,今まで見捨てたくないのに多くの子ども達を見捨ててきた「ダメ教師」としての原罪を忘れたくないからです。


学校では,「見捨てている」自覚のない教師がほとんどでしょう。でも,見捨てているんです。今のわたしだってそうです。『学び合い』をやれば(やる,という表現もどうかと思いますが,適切な言葉が浮かびません),すぐに一人も見捨てない教育が実現できるなんて思っていません。そこを勘違いすると,大変に危険です。


一時期、「俺は『学び合い』と出会ったから、これで「一人も見捨てない」を実現できるはずだ!」と思ってしまったことがありました。そんな風に短絡的に考えると、子ども達に「何でできない子を放っておくんだ!見捨てるんじゃない!」なんて怒り方をして、子ども達を苦しめることになります。その危険性は、tontanさんやfuru-tさんが度々、ブログ等に書いていらっしゃいましたよね。


「一人も見捨てない」って、そう簡単に口にしていい言葉じゃないという意見もあると思います。


それでもわたしは、「一人も見捨てない」を常に考えています。そして、子ども達に求めます。「一人も見捨てない」は強い言葉です。それによって、子どもを傷つける恐れもあります。それでも「子ども達に求めた方がいい」というのがわたしの判断です。


子ども達が、わたしと一緒に過ごすのは、長くて2年。今年のクラスは1年だけです。中学校進学後は、この仲間と3年間一緒に生活します。高校だって、田舎ではそれほど多くの選択肢はありませんので、5つくらいの高校に分かれるだけです。(津波放射線で、以前よりも選択肢は減りましたしね。)大学への進学者は、それほど多くはないでしょう。都市部へ就職する子も居ると思いますが、その割合はどれくらいになるか、想像がつきません。
この地の子ども達にとっては、「今」と「未来」の繋がりが、非常に強いだろうと考えています。(子ども達に「学力」をつけて、都市部に就職させるのが教師のつとめだ!という考えも聞きますが。これについては、後で書こうと思っています。)


わたしと一緒に過ごした1年間が、この子ども達の人生の中で、意味のあるものになって欲しい。10年後、50年後まで考えても、意味のあるものであって欲しい。俺の名前なんて忘れても、ここで学んだ価値は残って欲しい。


そう考えて、わたしは「一人も見捨てない」を使っています。
毎日、口に出しているわけではありません。でも、子ども達に求めるものの根っこは、ここにあります。全ての行動が、そこに矛盾しないものにしたいと思って、修行しています。



けれども、昨日、わたしは大きな間違いを犯しました。「一人も見捨てない」に矛盾した行動を取っていました。無意識にですが、取っていました。
それに今日、気づきました。
子ども達はそれを見透かします。学級が崩れます。ほんの小さな綻びですが、それはわたしの責任です。わたしに原因があったのです。


「一人も見捨てない」教育を目指す。
困難なことです。
でも、教師なら、それを実現させたいじゃないか!させるべきじゃないか!本気でそれを望むべきじゃないか!
諦めるんじゃない。逃げるんじゃない。


自分をそう、叱咤激励しながら、これを書いています。