『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

良いクラス

昨日参観した同僚のクラスが良いクラスだったので,その話を。
あと,ウチのクラスも良いクラスになってきたので,それも合わせて。

良いクラスは,教室に入っただけで分かります。
ゴミが落ちていない。ロッカーがきれい。本棚も整理されています。黒板もきれいです。掲示物もきちんとしています。それが「先生の頑張り」ではなく,子どもの手による物だったら,尚,良いですよね。
廊下を通っただけでも分かります。
子ども達の声が落ち着いています。先生の声がガンガン響いていることも,甲高い声がキンキンしていることもありません。
昇降口でも分かります。
靴がきちんと入っています。朝,顔を合わせると,元気にあいさつしてくれます。


でも,それは結果としてそうなるのであって,それを指導の目的にしても効果が薄いと思います。場合によっては害悪です。
「静かにしなさい,片付けなさい,掃除しなさい,返事をしなさい,靴はきちんとならべなさい,あいさつをしなさい」なんてことをいくら指導しても,良いクラスにはならないのです。


学校に来るのが楽しければ,自然と朝も笑顔で登校します。あいさつも元気になります。靴を脱いで仕舞う時も,ていねいに置くことができます。授業中も自然な声で話せます。教室が「好きな場所」ならゴミを捨てることなんてありません。落ちていたら拾うし,落とした人がいれば「僕の好きな場所にゴミなんて捨てないでくれ!」という気持ちになります。掃除も一生懸命にやるでしょう。学習が楽しければ,学習道具を大切にするのは当たり前です。ロッカーも本棚も当然きれいにしたくなります。


一方,学校が楽しくなければ,朝は暗い表情です。寒くもないのに手をポケットに入れていたら要注意。あいさつだって蚊の泣くような声になります。靴を脱いだ後も,学校に入りたくない気持ちから,乱雑に靴を投げ入れるでしょう。授業中に大声で「先生,俺を見てよ!」とアピールする子や,休み時間にストレス解消をする子が大勢います。当然,うるさくなります。嫌いな場所ですから,ゴミを投げ捨てます。学習が嫌になっていれば,それに使う学習道具も嫌なものです。だから,ロッカーや机の中にゴミも増えます。


そんな状態の子ども達に,「静かにしなさい」なんて言っても,聞かないどころか逆効果。「静かにしたって,良いことなんて何にもないじゃないか!先生は俺達に命令ばかりするけれど,言うこと聞いても,何の得もないよ。こんな先生の言うことなんて聞いてられない」と思うのが自然なことだと,わたしは思います。結果として,厳しい指導をすればするほど,学級が荒れます。


逆に,学校が楽しい子ども達なら,自然と「望ましい」行動をとります。「望ましい」というのは,教師の都合に合わせる,ということではなく,人間にとって「望ましい」ということです。安心・安全な学級になるということです。そういう状態の学級になら,あいさつやマナーのことを指導すると,どんどん吸収していけることでしょう。


昨日参観したクラスは,とっても「清潔感」のあるクラスでした。担任の先生の人柄の表れでしょう。教室の壁に貼られている掲示物は,子ども達が作っているものだそうです。3年生でもここまで出来るんだなあと感心しました。このクラスは,廊下を歩いている様子も素敵です。知的な営みが学級の中に存在しているのを感じます。


ウチのクラスも,最近,げた箱がみるみるきれいになってきました。以前は,そういうことがきちんとできないクラスでした。教室の中についても,昨年度の様子は,詳しくは書きません(書けません)が,まあ,察して下さい。わたしが担任して半年,靴をきれいに入れなさいという指導をしたことはありません。床に落ちているような靴を拾って,本人に一声かけたことが何度かあったかもしれませんが,よく覚えていません。でも,きれいに入れるようになるのです。教室も,どんどんきれいになってきました。教室の掲示も,わたしが作ったものを勝手に作り変えて貼っていることもあります。教室が好きな場所なら,自分の手で良くしたくなるのです。(掲示物の写真は,Facebookに上げておきます。)


一応,補足しておきますが,ルールやマナーとか,あいさつや清掃の指導に意味がないと言いたいわけではありません。それが染み込む素地がないのに,闇雲に指導しても無意味だと言いたいのです。
ウチのクラスも素地がしっかりしてきたので,これからは,靴の入れ方やあいさつ等についても,どんどん指導していくつもりです。