『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

オーラとは

昨日のエントリーで「オーラ」なんて言葉を使いましたが,それは超能力的なものや神秘的なものを指しているのではありません。
何と表現していいか分からないので,「オーラ」という言葉を使いましたが,もっと適切な言葉はないかなあと色々と考えています。オーラとは,そんなに特別なことではありません。
例えば,こんなことです。


子ども達が頻繁にケンカをしたり,ケガをしたりする学級があるものです。やんちゃで元気な子ども達が多い学級だからそういうことが起こるわけではありません。原因は大抵の場合,教師です。
そういう学級の担任は,「小さなこと」を見逃します。
例えば,体育の時間。校庭に座って教師の話を聞いている時に,砂に絵をかいている子が居ても,注意しません。砂で山を作っている子が居ても注意しません。こちらから見ればなぜ注意しないのか不思議なのですが,気付いているのかいないのか,放っておきます。そんな状態のまま,鉄棒の練習が始まります。学級の児童全員が同時に使えるほどの鉄棒が設置されている学校など稀でしょうから,半数くらいは待っている子どもが出るものです。さきほどまで砂いじりをしていた子は,山をどんどん大きくします。また,棒を拾って,お絵かきを始める子も出ます。
それでも注意しません。
その内に悪戯心から,その山を崩そうとする友達がでてきます。崩された子は怒って砂を投げつけます。また,棒で絵をかいていた子は飽きて棒を振り回しはじめます。誰かの目に入ったり,当たったり。そうしてケガ人が出ます。
そうした大騒ぎになってから,初めて注意するのです。こうして,ケンカやケガが頻繁に起こる学級が出来てきます。
こういう教師は,最初の段階で注意しないことで,「授業中に遊んでいていいんだよ」と子どもに伝えてしまっているのです。こういう無意識のメッセージが「悪いオーラ」です。


また,逆に,むやみやたらと注意しまくる教師もいます。
授業が始まる時には,「教科書の準備ができていない」と注意し,「姿勢が悪い」と注意し,「あいさつが遅い」と注意し,「あいさつの声が小さい」と注意します。授業が始まれば,教科書の持ち方が悪いと注意し,挙手の手が真っ直ぐじゃないと注意し,指名された時の返事が小さいと注意し,立つ時はイスの右側だと注意し,イスをしまえと注意し,発表の声が小さいと注意し,発表の最後には「です・ます」を付けろと注意し,「みなさん良いですか」と付け加えるんだよ,と注意します。
これらの指導が必要ないとは言いませんが,でも,こういった指導の裏に存在する「子ども達はあれもできないし,これもできないんだよね」という思いが,子ども達に伝わります。これも,「悪いオーラ」です。子ども達に生じるのは「ぼく達はできない」という自信のなさか,「じゃあ,先生,どうすればいいの?」という受け身の姿勢が多いように感じます。


誤解のないように申し添えて置くと,こういう教師も,一対一で話すと「良い人」です。大抵の場合,わたしなんかよりも余程親切で,丁寧な方が多いんです,本当に。
前者の場合は,子ども達を無邪気に信じているのでしょうか。それとも,目の前のことに一生懸命になり過ぎて,子ども達が見えていないのでしょうか。
後者の場合は,子ども達を「赤ちゃん」と勘違いしてしまっているのでしょうか。あれもこれも教えて,手助けしてあげないとできないものだと思っているのでしょうか。


どちらにせよ,子ども達にとってマイナスのメッセージを無意識に発しているのは変わりません。(そして,どちらも,過去にわたしも似たような失敗をしているのですが)


じゃあ,逆に「良いオーラ」とは何なのでしょうか。
このあたりは,さらに長くなりそうなので,次回に書きたいと思います。