『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

子供の見方。

子供を見る時に,「瞬間」だけを見ないように気を付けています。


例えば,「A君が,ゴミを床に捨てた」様子を見たとします。


その時,何も考えずにいると,
「こら!お前,ゴミを捨てるな!」
とか
「ちょっと,A君,何してるの!!!」
なんて反射的に声を荒げてしまいがち。
その瞬間だけを見れば,怒って当然のことにも思えます。
でも,本当に「A君が,ゴミを床に捨てた」ことは注意すべきことなのでしょうか。
もしかしたら,A君は無意識にゴミを落としたけれど,それに気付いて,また拾おうと思っているかもしれません。
めちゃくちゃ嫌なことがあって,でも,我慢に我慢を重ねて,それでも耐えきれず思わず机上のプリントを丸めて捨てたのかもしれません。
体調が悪くて,取り落としたのかもしれません。
ゴミを拾おうとしたところを,教師が見間違えたのかもしれません。
色々なことを考えると,「怒る」という行動が当然のものとは思えなくなってきます。


子供の行動を評価するためには,「現在」のその「瞬間」だけではなく,その前のこと,その後のこと,つまり「過去」や「未来」との繋がりを見る必要があるのではないでしょうか。
それをせずに,瞬間だけを切り取って評価する行為は,「この子は良い子・この子は悪い子」というレッテル貼りに陥る危険性を感じます。そういうある種の「思い込み」がないと,瞬間的な判断は難しいでしょうから。


勉強だってそうですよね。
同じ「80点」でも,その子の以前のテストが60点なのか100点なのかで,かけるべき言葉は変わります。また,100点の子が80点に下がったからといっても,その後の努力で「価値のある失敗」にすることだって可能です。
だから,人を叱ることや褒めることって本当に難しい。その子の過去を想像し,未来を思い描いて,長いスパンで見ることが必要です。


けれど,わたしはスーパーマンではありません。だから,長いスパンで見ようとしても見誤ります。声のかけ時を逸すことも山ほどあります。
やっぱり「悪いこと」をすれば注意べきだ!と叱っては失敗し,
じゃあ,様子を見ようと待ち過ぎて,集団を緩ませる・・・。
そんなことの繰り返しです。


それを防ぐために大切なのは子供達を「集団」として見ること,そして,「途中経過」ではなく「結果」を評価することだというのが,わたしの考えです。これ,大切です。
途中で口出しするなら,「期待」と「嫌味」程度。
例えば。教室はきれいな状態を保つべし!というミッションを課したら,「きれいか否か」を見て評価します。授業では「結果が出ているかどうか」を大切にします。
個々の動きは追いません。ましてや「気になる子」をいじくるような行為は御法度です。
とは言っても,黙って見ているわけではありません。「このままじゃ,まずいな」という時には,「本当に大丈夫?本当に?俺は心配だけど」と集団全体にチクリと刺すくらいのことは必要です。「良い感じだな」と言う時には,「結果を楽しみにしているよ」「期待しているよ」とワクワクしていればいいのです。


けどねえ,どうしても余計なことを言ってしまうのですよね。
どうしても,個を見たくなるし,見たら口出ししたくなります。
また,他者とのしがらみ(校内で統一する必要がある場合など)で途中経過を見なくてはいけないこともあります。
そんな時はせめて,瞬間だけを見てその子を判断するようなことはやめるべきです。
中には,「一瞬で判断できるのが,腕のある教師だ」と言う人もいるでしょう。わたしだって,瞬間的に判断して当たることもあります。けれど,瞬間では絶対に分からない子がいるのです。そういう「相性」の悪い子が,どんな教師にも絶対にいるでしょう!?。どんなに「腕に覚えがある教師」でも,知らぬ間に一部の子を苦しめています。万人にフィットする教師はいません。
瞬間的な判断を良しとするかどうかは,腕の有る無しで決まるものじゃあないのです。そのせいで苦しんでいる子供の存在を想像できるか否か,です。想像できない人は,瞬間的な判断を繰り返し,自分の判断の正しさを誇示するのでしょう。そして,「自分と相性の悪い子」は「駄目な子」だと無意識のうちに決めているのです。無意識だから,指摘しても「そんなことはしてません」と言うでしょうけれど。


あれ?まろやかな中身にしようと思っていたのに,ちょっと棘のある物言いになってしまいました。この辺にしておきます。