『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

イロハのイ

教師にとって大切なもの。イロハのイとなるもの。
それは,何といっても「愛」だと思うのです。ベタですねえ。でも,教師には,絶対に必要だと思います。
多分,子供達のことを想っていない教師はいません。少なくとも,わたしが知っている先生方は,全員が子供達のことを「好き」だったり「心配」していたりします。
それぞれの教師が,それぞれのスタンスで子供達を愛していることでしょう。(愛という表現を使うかどうかは別として)


でもね。
どんな愛でも愛していれば良いわけではありません。
若かった頃のわたし,つまり教師としての基本が全く出来ていなかった頃のわたしを思い出すと,「その愛じゃだめなんだよ」と反省しています。
教師になる前から,わたしは「子供好き」でした。けれど,若い頃のわたしは「目の前にいる子供の姿」しか考えていませんでした。例えば,わたしは初任で5年生を担任し,そのまま6年生へと持ち上がって卒業させたのですが,「小学校卒業後の姿」なんて想像していませんでした。中学校に行ってから何が必要か。大人になってから何が必要か。そのために何を教えるべきか。そんなことは考えず,その日その時その場しのぎの教育しか行えませんでした。そのせいで中学校進学後,苦労した子は多いでしょう。その時の子供達には申し訳ないことをしたと反省しています。
小学校教師の場合,基本的に担任できるのは,1年や2年くらいです。(と言いつつ,わたしが現在担任しているクラスは通算で3年目ですが。3年,4年と関われるのはレアケースでしょう。)教師が目の前にいる児童を愛し,心配し,手をかけてやれる期間は限定されています。そこが親の愛とは違うところです。親だったら自分が死ぬまで愛し続けることが可能です。
けれど,教師はそうはいきません。どんなに心配し,手をかけた子であっても,卒業させた後に面倒を見ることは難しいでしょう。例えば「昔の教え子が受験に苦しんでいるから,今担任しているクラスを自習にして,勉強を教えに行く」なんてことは不可能です。また,卒業させた子から,友人関係や進路について相談をされることもありますが,でもそれは卒業させた子全員に行うことは無理です。
そう考えると,教師の愛情は「期間限定の愛」だと感じます。でも,自分が担任した子供達には,生涯に渡って幸せになって欲しい。
それを乗り越えるには、子供達の1年後,5年後,10年後・・・50年後といった将来を見通してあげることが必要になってくるのではないでしょうか。


このように「期間限定の愛情ではあるけれど,将来も幸せになって欲しい」と考えるようになった時,わたしは「本当の教師の仕事とは何か」を真剣に考え,「本当の教師としての第一歩」を踏み出せたと感じています。


将来を見通しながら,今,この子達に何をすべきかを考えられること。これが,わたしが考える「教師の愛」であり,「教師のイロハのイ」です。
では,この「愛」をどう具体化していけばいいのでしょう。それを追求していくことが「イロハのロ」以降に繋がっていきます。