『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

イロハのロ

教師に必要なものの第一として,教師に必要な「愛」について書きました。
次は,それを具体化するために必要なものを考えていきたいと思います。


結論から言うと,わたしは「子供達に信頼されること」だと考えています。そして,信頼とは先に書いた「愛」と密接に繋がっています。
教師が先を見通さず,その場限りのことばかりを考えていると,言っていることがコロコロ変わります。
例えば,授業中にトイレに行きたい子が居た時。教師はどうすれば良いのでしょう。
正解はないと思うのですが,でも,わたしの場合は100%「トイレに行っといれ」と答えます。
それが,時と場合によって「良いですよ」だったり「あと5分で授業が終わりますから我慢しなさい」だったり「先生が駄目と言ったら行かないのですか?」だったり「先生はトイレじゃありません」だったりというように変化すると,子供達は混乱し,教師に対する信用を失っていきます。
授業中にトイレに行かせることを良しとしない先生も居るでしょう。それは,その先生の考えでそうしているのだと思いますから,ブレずに求められるならそれで良いのかもしれません。
わたしの場合は「学び続け,成長していく子供達を育てたい」と思っています。「そのためには自分で考え,自分で判断して欲しい」と願っています。ですから,「トイレに行くのを我慢できるなら我慢して勉強すれば良いし,我慢できなくなったら行けば良い」と考え,それを子供達に伝えています。子供達はトイレに行きたくなれば行きますが,わたしに一言断って行くべきだと考えているようです。その結果「先生,トイレに行ってきます」「はいよ。トイレに行っといれ」というやり取りになるのです。


「授業中にトイレに行かせるなんて,勉強から逃げたい子がどんどんトイレにいって遊んでいたらどうするんだ!?」と思う方もいるかもしれません。でも,ウチのクラスはそんなことをしている余裕が無いくらいガシガシ学んでいますから。逆に言うと,尿意を堪えながらで着いてこられるほど,甘い授業はしていません。


たかがトイレと侮ってはいけません。そういうブレはトイレだけではなく一事が万事,様々な所に波及します。宿題を忘れた子はどうするのか。教科書やコンパスを忘れた子にはどうするのか。ケンカが起きたらどうするか。授業ではどのレベルまで求めるのか。色々なところで,教師が「何を見据えているのか」が問われるのです。
その一つ一つで子供達の信頼感は増えたり減ったりしています。塵も積もれば山となり,教師への信頼感が減っていくのです。


繰り返しますが,どんな指導をすべきかという正解はありません。教師がどんな子供達を育てたいのかによって,変わってくるのですから。


わたしが一切ブレないわけではありません。ブレます。人間ですから。自分でブレに気付いて,反省することも多々あります。
けれど,最低でも,教師が「座ろう」と言ったら子供達が座り,「集まろう」と言ったら集まり,「これを見て」と言ったら見てもらえるくらいには信頼されていないと,授業どころではありません。
そして何より「それはまずいんじゃない?」と言ったら「気を付けなくちゃ」と思ってもらえなければ,担任としての仕事は困難でしょう。大声で怒鳴らなくても,教師が叱った時に子供達の心に響かなければ,集団を動かすことは無理じゃないかなと感じています。


そういった信頼関係を結べるかどうかは非常に重要であり,それは教師の「愛」が,それも「先を見通した愛」が鍵を握るのではないかと考えています。子供達は,教師の本心を見抜く天才です。愛がなければ,見抜かれます。短時間なら誤魔化せるのかもしれませんが,長期間,子供達を引き付けるのは,小手先の技術ではないのです。