『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

調子

自分が所属する集団の調子が悪い中で,自分だけが好調を維持するというのは無理なことです。周囲の調子が悪ければ,自分の調子も落ちます。逆に,周囲の調子が良くなればなるほど,自分自身も望ましい方向へと向かっていきます。みんなで調子を上げていくことができるのです。だから,集団の構成員である以上,自分のことだけではなく,周囲のことも考えながら行動することが不可欠だと考えています。
これが『学び合い』で言うところの「教えることは徳ではなく,得」ということでしょう。


でも,この「得」が成立するのは,集団の管理者が「関わり合う集団(学級なら,学び合う集団)」を形成できる能力を持っている場合です。管理者がその力を持っていない場合は,みんなで調子を上げていく関係は作られません。出来る人は出来る。出来ない人は出来ない。そういう集団になります。各人の能力がそのまま反映され,そして,全員が調子を落としていくことになるでしょう。出来ていたはずの人も出来なくなっていきます。だって,どんなに有能な人でも,先に苦しくなった人たちが処理できなくなった仕事や課題がどんどん回されてきて,最終的には潰れるまでやるべきことが膨らむでしょうから。潰れないためには,一人で数人分の仕事を片付けられる能力が備わっている必要があります。
そんな人,居ませんよね。


シアトルマリナーズ時代のイチロー選手は,最下位にあえぐチームの中で「チームの勝利よりも,個人の記録を優先させている」と批判されたことがありました。イチロー選手が個人記録優先の意識を持っていたのかどうかは分かりませんし,そんなエゴイスティックな選手だとも思えませんが,でも,不調のチームの中で自分を潰さないためには,周囲からある程度の距離を取る必要があり,それが誤解を生んだのかもしれないなと空想しております。
集団の不調に対して,自分だけ無関係であろうとするのは,スーパースターであっても難しいでしょう。
いわんや凡人をや!です。