『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

教師の仕事

朝、ツイッターでつぶやいた内容を、加筆修正して、こちらにも載せておきます。


教師の仕事とは、集団を作る仕事だと考えています。しかも、ただの集団ではなく、学習し成長する集団を作る仕事です。集団を作ることが出来なければ 、どんなに優秀な塾講師でも、ピアノの先生でも、(つまり、どんなに「教え方」に優れていても)、学級経営はできません。そのうち学級崩壊してしまうでしょう。


「学習し成長する集団を作る」。そんなことは、当たり前のことで誰でも出来ている、と思ったら大間違い。
あなたのクラスの子供達は、本当に学習していますか?成長していますか?全員が、学校じゃなくちゃ学べないことを学んでいますか?学校じゃなくちゃ出来ない成長をしていますか?「そういう子も居る」じゃ駄目ですよ。そういうことができている集団ですか?
そう問われて、「はい。」と答えられる教師はどれくらい居るでしょう。集団を作るというのは、非常に高度な仕事です。


多くの人は、「勉強を教える」ことこそが、教師の仕事だと考えるかもしれません。
そりゃあ、「勉強を教える」ことも、教師の仕事の一部です。わたしも『学び合い』の中で勉強を教えることはあります。でも、学習し成長する集団においては、教師が教えなければならないことは非常に少ないのです。多い•少ないという感覚は個人差があるでしょうけれど。
ただ、気を付けなくてはいけないことがあります。
教師が教えなくても、子供達は勝手に学びます。子供達は学ぶことが好きです。年長の娘は放っておいても平仮名や片仮名を覚え、指を使って足し算をしています。本が好きで色々な物を読んでいますから、低学力の小学生が知らないような知識も断片的にですが知っているでしょう。
でも、そんなことは学校での学習や成長とはあまり関係ありません。6歳児が、保育園や家庭で放っておいても身に付けられるような知識は、本当の意味での学習ではないのです。
また、「教科の専門家」を気取った教師が教えている「深い学習」も本当の意味での学習ではありません。そんなのは、後からでも学べることを先取りしているだけの場合がほとんどです。


社会に出る前に、本当に学習し、成長しておかなければならないことは何なのか。それを考えることが、学習し成長し続ける集団を組織する上で不可欠です。なぜなら、先を見ていないから。
じゃあ、先とは何でしょう。それは、人格の完成であり、平和で民主的な国家及び社会の形成者になることだと、教育基本法で明記されています。
『学び合い』では、人格の完成として、「多様な人間と折り合いをつける」「より多くの人間が自分の同僚であることを知る」という言葉で表現しています。これはシンプルなようで、難しいことです。1年や2年で身に付くようなものではなく、大人にだって難しいでしょう。
「人格の完成!?そんなの無理だよ。」
そう言う教師には、無理でしょう。教師が無理だと思ってしまったら、無理です。教科の内容を分からせることを目標にしている教師は、最高でもそこまでしか子供達を成長させられません。けれども、教科の学習を通して人格の完成や平和で民主的な社会の形成者の育成を行うイメージを持っている教師だけが、それを目指す集団を作ることが出来ます。しかも、教科の内容「も」学ばせた上で、「学校でなければ学習出来ないこと」も学ばせることが出来るのです。


教師は子供達より上位の目標を見ているべきです。先を見ているから、先生なのです。勉強の先にある「人格の完成」を目指しているのが、本当の教師ではないでしょうか。教師が、人格の完成を本気で見定め、目指し、それが子供達に伝わった時、学級が「学習し、成長していく集団」になるのだと思います。


それが出来る教師になりたいと思います。そういう教師を目指して、これからも、歩みを進めていきます。