『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

自らが答えとなる

『学び合い』を始めるのは簡単だけれど、続けるのは難しい。


この言葉は、わたしが『学び合い』に出会って半年くらい経った時に聞いた言葉です。
それから3年以上経ちますが、今でもそう感じます。
長くやっていくと、最初にやっていたことを「捨てる」必要があるからです。捨てるって難しいですよね。
例えば、『学び合い』でよく出てくるテクニックの一つである「可視化」。これは初期には有効だけれど、でも、しばらく経ったら「邪魔」です。可視化しなくても見るようになるのが、集団としての成長です。教師が可視化しなければ見なくて良いというメッセージと受け取られ、集団の成長を妨げるかもしれません。
でも、可視化を止められない人も多いと思います。わたしも、ちょっと不安になって可視化をしてしまうことが時々あります。その時には効果はあるのですが、それを続けてしまうと逆効果なのも分かっているので、我に返ると「失敗した!」と思います。
他のテクニックも同じです。テクニックを使いたくなるのは、自分の安心のために、集団への信頼をないがしろにしているからです。


じゃあ、テクニックに走らない『学び合い』って、どうすればいいの???


また、最近のわたしのクラスがそうなのですが、『学び合い』でずっとやっていると、子供達から必死さがなくなってきます。まあ、いつでもフルパワーで勉強することは無理ですが、でも、「普通」のレベルじゃ明らかに子供達は手を抜き始めます。
これ、子供達が悪いんじゃありません。悪いのは、わたしです。
だって、一生懸命にやらなくても出来る課題なんだから、子供達がそうするのは当然なのです。
だから、一生懸命にやるに足る課題を出す必要があります。
例えば、ワークテストで全員100点。
でも、本音を言うと、わたしはこの課題が好きではありません。いえいえ、全員100点を目指すクラスは素敵だと思うし、それを達成しているクラスを心から尊敬します。嘘偽りなく。わたしのクラスは「あと一歩」が何度かあるので、達成できたらいいなあと思っています。
でも、そんなに切実に子供達に求められないんですよね。理屈からいえば、全員100点は、評価をしやすいし、繰り返しチャレンジできるし、なかなか達成できないし、でも、達成したら目に見えるし、課題として適していると思うんですけれど。もちろん、仕事だから、感情を抜きにして、ある程度の点数は求めているし、取らせているし、取らせなくちゃいけないと思っています。けれども、最近、沸々と湧いてくるんですよ。「心の底から求められないなあ」って気持ちが。
これは、理屈じゃなくて、好き嫌いの問題です。感情だから、いかんともしがたい。
(繰り返しますが、全員100点を達成できたクラスはリスペクトします。心から拍手を送ります。だから、「全員100点」を達成しているクラスの『学び合い』を実際に見てみたいんですよね。そうすれば、考え方が変わるかもしれません。)
多分、わたしと同じように考えている人は多いんじゃないかと思います。


でも、他にはどんな課題を与えれば、集団が手を抜かずに学び続けていくの?


これらの答えって、現場で実践している教師が作っていかなくちゃいけないことなんだよね、と強く強く感じます。それができないと、『学び合い』を続けていくのが難しい!と感じる人が、増えていってしまうんじゃないかと思うんです。
もちろん、各地区で『学び合い』をリードしている方は、それぞれの答えを持っていて、それを共有しているのだと思います。
わたしも、その中に入っていけるように、自分の実践が「答え」の一つと認めてもらえるように、もっともっと精進していこうと思っています。