『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

求める

とんたんさんのこのエントリーが興味深いので,わたしも,私見を書きたいと思います。
http://d.hatena.ne.jp/tontan2/20140702



多分,ほとんどの人が混乱すると思いますが,まあ,書かせてください。


わたしは,ある程度テストを重視しています。重視する理由は簡単で,人と違ったことをする上で,点数を出しておくと後々便利だからです。他のクラスと比べ易いですし,変容も掴み易いですし。
昨年度のクラスでは一度だけですが,全員100点を達成できました。今年のクラスは,1学期の最高平均点は算数で99点。どのテストもおおむね平均は90点程度です。最低点もほとんどのテストで75〜80点は取れています。ただ,テストによってバラツキがありますが。
これくらい出した上で,謙虚さと気遣いを忘れなければ,わたしのような嫌な奴でも『学び合い』をやることを許してもらえます。
(早く、こんな努力をしなくて済むようにならないかなあ。)



並の力量の教師が,きちんと『学び合い』のセオリー通りの授業をすれば,同程度の点数にすることは難しくないと思います。ただし,「きちんと」です。何の根拠もない個人的な基準で言えば,「きちんと」かどうかは,「最低でも3回は『学び合い』の手引き書を通して読む」「迷ったらすぐに手引きを読み直す。拾い読みでもいいから,月に1回くらいは手引きのページを開く」くらいきちんとやれば,この程度の結果は出るでしょう。(以前のわたしは「きちんと」『学び合い』をやっていました。今のわたしは「きちんと」していません。)
同じ結果を『学び合い』以外で出そうと思ったら,スーパーな力量が必要でしょう。『学び合い』ならスーパーな力量は必要ありません。まあ,『学び合い』をきちんとやることも,相当大変ですが。



さて。
『学び合い』をやる上で、というか、集団を経営する上で大切な物ってなんでしょう。
わたしの持論なのですが、「大切なのは、ベクトルではなく、レベルだ!」と思うんです。
集団を引っ張っていくには、高いレベルの課題が必要です。集団が育ってくると、一般的な教師が無理だと思うレベルでも、可能になってきます。
例えば、普通の善意の教員が「この子は特別な支援が必要」と思い込み、親でさえ「ウチの子はみんなと一緒に勉強するのは無理なのかも」と勘違いしているような子が「フツーに学ぶ」なんていうことも、集団が育ってくれば起きます。それが可能になるのは、教師がそれを求めているからです。
「全員がテストで100点を取る」というのも、普通に考えたら無理です。でも、教師が求め、集団が高まれば可能になるでしょう。わたしは『学び合い』のブログを読んでいく中で、「全員が100点を取ることを楽しむクラス」のイメージを得ることができたので、昨年は、全員100点を求めました。今年も、クラスが育ってきたら求めるかもしれません。
難しいのは、「テストの点数を高めることを課題として求めれば、『学び合い』が上手くいく」というのは間違いだということ。テストという「ベクトル」が大切なのでなく、その「レベル」が大切です。このレベルというのは「目標は80点にするのか、100点にするのか」ということではなく、「どのレベルまで集団を高めたいのか」ということです。


例えば、テストの点数が芳しくない時、どんな行動をとるのか。そこに、教師が求めるレベルは現れるでしょう。
全員が100点を取ることが、集団や個々人の未来にどんな意味があるのかを語る教師は、将来に渡って子供達を幸せにしたいというレベルで集団を育てたいのでしょう。
全員が100点を取ったら、このクラスはとても楽しいよ、もっと幸せなクラスになるよ、と語る教師は、自分が担任している間は子供達の幸せを保証したいというレベルで集団を育てたいのでしょう。
全員が100点を取らせるためには、どんな課題にすればいいかなあ、どんな学習方法を取り入れようかなあ、と課題を工夫したり、方法に走ったりする教師は、分かりやすい結果を出して欲しいというレベルで集団に求めているのでしょう。
ま、色々な教師が居るでしょうけれどね。
(一応付け加えておきますが。テストというベクトルで考えていない教師は、どの行動も取らないでしょうけどね。)


わたしの場合、今のクラスでテストに求めてきたのは「3番目」です。分かりやすい結果を出して、『学び合い』に文句が出ない程度にしてくれればいい。そんなレベル。冒頭に書いた通りです。そして、多くの教師がテストに求めていることも、同様な気がします。そんなことないですか????
だから、点数を上げようと思うと、アレコレと取り入れてしまう。○○法や○○式や○○理論を使うことで、子供達に力がつくと思っている。
それはつまり、点数を上げることが目的となっているのです。
それでは全員100点は絶対に無理でしょう。
わたしは、持てる技術を駆使し、気合いを入れて授業をした結果、最高で平均99点でした。もっと気合いを入れたら100点になる!?うーん、そうは思えません。100点を取らせようとし過ぎて、授業の質が下がるでしょうね、とんたんさんの言うように。
それ以上に問題なのは、そんな気合いを入れた授業を1年間続けることができるのは、スーパー教師だけだということ。わたしみたいな、「ちょっと授業が好きなだけ」の平凡教師は、数単元で力尽きます。(実際に尽きました。)
結局は、技術ではなく、教師としての在り方・姿勢なんですよね。



1番目の教師のクラスなら、全員100点をガシガシと達成するかもしれません。
全員が100点を取ることが完全に方法の一つにしか過ぎない。全員100点をとった上で、それでも子供達が
「大切なのは、点数じゃありませんから。」
なんてサラリと言えちゃうようなクラス。そんなイメージ。
そういうイメージを持てるのだから、わたしにも可能かなあと考えていたら、去年は1度だけ達成できました。やっぱり、点数を上げたい!ってレベルで止まっていたら難しいんだろうな。
全員100点が可能な先生って、授業技術とは別のベクトルで、何かのレベルが物凄く高いんだと思うんです。どう言えば良いのでしょう。将来のビジョン?視野の広さ?何となくは掴めています。それがはっきりと分かれば、わたしももう一皮剥けそうなんですけれど。うーん、上手く言葉に出来ません。
だから、今のわたしは、そういったベクトルとは違う方向で、高いレベルを求めています。
また、何となくですが、それを持っている先生が、『学び合い』を上手に広めることが出来るような気がしています。これも、わたしには出来ないことです。