『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

自分の限界を知るということ

わたしは、「自分の価値観」と「世の中の価値観」だったら、世の中の価値観を信じるようにしています。
というのは、自分には教師としての才覚はなく、能力的にも大したことが無いと分かっているからです。
けれども、これは、全てを世の中任せにして自分で判断をしない、ということではありません。教師としての責任を果たすためには、独りよがりで自分勝手な判断はできないのだから、世の中の価値観をもっと知っておくべきということなのです。
自分の仕事に対して、今ほど真剣に考えていなかった頃は、自分を信じて、自分が何となく良いと思うことをやっていました。
それに大した根拠はありません。「自分がそれを良いと思った」というだけ。もしくは「自分が良いと思った人が良いと言っていた」と言う程度の根拠。
今思うと、無責任だったと思います。無責任だから、自分の好き嫌いだけで行動できちゃったのしょうね。


教師として果たすべき責任は、非常に重いものです。
それを実感すればするほど、自分一人の価値観で、自分勝手に振る舞うことが憚れるようになってきました。
自分の責任を果たそうとすればするほど、自分の価値観だけで「気まま」に仕事をすることが怖くなってきたのです。
若い頃なら、セミナーや本で知った新しいネタをすぐに試すことができたけれど、最近は慎重です。教育書の類いはほとんど読まなくなった代わりに、文部科学省のサイトをちょくちょく見るようになりました。学習指導要領は、恥ずかしい話ですが国語以外は熟読したことが無かったのですが、音楽や道徳等、今までほとんど読まなかったものも読むようになりました。
そうすると、色々な人が言っていることが、「1 法やデータといった裏付けがあって言っているもの」「2 自分の経験から言っているもの」「3 そうするのが当然という思い込みから言っているもの」というのが分かるようになってきました。
わたしの場合は「2」の発言がメインです。実践家というのは、そういうものでしょう。自分が実践し、経験したことを語るのは、現場で生きる教師なら当然のように思いますし、それが悪いとも思いません。


けれど、個人的な経験では超えられない物があるというのも、経験から学びました。
例えば、「わたしには『勉強が分からなくて苦しんでいる子』の心情をリアルに理解することは無理だ」ということ。わたしの経験的な学びからは、そういう子を本当の意味で理解し、救うことは出来ないようです。自分には限界がある。全ての子にとって良い先生には成れない。その受け入れがたい事実を受け入れたからこそ、わたしは「2」を超えて「1」の発言が出来るようになる必要性を感じているのであり、わたしは『学び合い』で生きて行くしかないのだと理解できました。


自分には限界がある。自分の価値観は絶対ではない。
だから、集団でやるしかない。
だから、『学び合い』なんですよ。


そして、『学び合い』において、自信を持って語っていくためには、「自分」を規準にしているだけだと、行き詰まってきたのです。
自分を中心にして語ると、100%ぶれますから。
ぶれない物を据えてこそ、児童に語ることができますし、そのぶれない物が「法」やデータ」だと思うのです。(他に何かありますかね?)
だから、西川先生は、ブログで法規の話や学術と実践の往還の話を繰り返し書いているのだと、やっとこさ理解できました。なんて書いて、勘違いだったら恥ずかしいですね。


とにもかくにも、今のわたしは、『学び合い』を続けて行くためには自分の価値観だけに縛られないことが必要だと確信しています。
そして、『学び合い』ではなくても、教師が自信を持って行動し、判断を下すためには、自分の価値観を超えて、世の中の価値観を知っている必要があると思うのです。
逆に言うと、自分の価値観に縛られていると、『学び合い』を続けて行くのが大変かもしれないなあって思っています。だって、教師の自分勝手な価値観では、集団をリードする子に見限られてしまう危険性がありますから。
リーダーがやっていけないのは、上記でいえば「3」の発言です。それでは、集団がイノベーションを起こせない。「2」の発言がメインになってしまうのは仕方ないとして、でも、「1」を意識することが必須でしょう。ただ、わたし自身も「1」と思って語っていたけれど、後から考えたら「2」に過ぎないよなってことが多くて、反省ばかりですが。


わたしの場合、法規的なことは自分で勉強するとして、問題は学術的な面です。
40歳をあと数年に控え、わたしの大きな課題です。