『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

学び合う本能

「温めない」の話に反応を頂いたので、もう少し書きたいと思います。


わたしは『学び合い』と出会い、様々なことから衝撃を受けましたが、その中の一つが「人間は、教えなくても学び合える」という事実。人間には学び合う本能がある。最初にこの話を聞いた時には「そんな馬鹿な!?」と思いましたが、今では納得しています。
こんなエキセントリックなことを学術的に明らかにしたのだから、西川純という人は化け物だと思います。以前のわたし同様に「そんな馬鹿な!?」という人がまだまだたくさん居るでしょが、そりゃそうですよね。信じたわたしの頭がおかしいのかもしれません。


幸か不幸か、わたしは西川先生の話を聞き、自分で実践する中で「人間には学び合う本能がある」と100%信じることができました。だから、温めるための努力を削ぎ落したのです。温めなくても学び合えるって信じていますからね。(これが不思議なことに、自分の教室だと信じられるのですが、大人相手だと駄目なんですよ。その駄目さ加減は、ある人々はよく御存知なはず。)


きっと世の中では、「子供達が学び合うには、子供達に関わり方を教えたり、関係性を良くしたりする手立てが必要だ。」という考えが主流でしょう。そう考えている方が「教師が子供達を温める」「子供達にお互いの温め方を教える」というのは、自然なことだと感じます。そして、それはとっても良いことに見えます。
けれど、子供達全員を温めるって大変ですよね?わたしみたいな一般人がやったら、絶対に子供間に温度差を生み出しちゃいます。わたしは小心者なので、自分が生み出した温度差を見過ごすことができません。温まっていない子が気になって、授業どころじゃないかも。まあ、必要ないことは、最初からやらないのが一番ですし。


もちろん、人と人の繋がりの大切さや、人の道については語ります。けれど、わたしが主体となって子供達を温める手立ては取りません。子供達が子供達を温めるための時間も取りません。
人は一生懸命に学ぶ時に、学び合い関わり合うことを本能的に選択するはずだからです。


この「学び合う本能」をいかに信じるかが、わたしにとっては勝負の分かれ目でした。
あくまでわたしの経験ですけれど。