『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント 繋がる国語科 アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

福島県の小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。

当ブログの内容は、全てなおたかの個人的見解です。


罪滅ぼし

Facebookで古田さんも取り上げていた坂内さんのエントリー。
http://d.hatena.ne.jp/tontan2/20141108


これを読んで「ギクっ!」としました。
わたしは間違いなくインフレーション化を促している教師です。しかも、自覚的に。


わたしは、ダメな教師です。だって、他の人と同じことができないんです。
それは、初任者の時からそうでした。初任研の指導教諭だったF先生には迷惑をかけっぱなしだったと思います。だって、他の先生がやっていることが、わたしにはできないです。頭が悪いのか、性格が悪いのか、人間性に問題があるのか、原因は分かりませんが、
「こうやりましょう。」
と言われたら、もちろん右も左も分からないペーペーなので
「はい。」
とは言うものの、身体中の色んなところから
「なんで?どんな意味があるの?これで上手くいくの?本当に?」
ってオーラが出ていたと思います。だから、他の先生からは
「態度が悪い。」
と注意を受けたことが何度もありますし、それをF先生がわたしの知らないところでフォローしてくださっていたのは感じていました。
そして、同じ年に一緒に新採用になった仲間と比べても、明らかに評価が低かったと思います。



そんな教員生活のスタートを切ったわたしですから、自己評価はすこぶる低いです。今でこそ、周囲から多少はプラスの評価を頂くこともありますが、でも、プラスマイナスでマイナスなのは確実です。児童にも、保護者さんにも、こんな担任で申し訳ないという気持ちでいっぱいです。
しかも、やっていることは『学び合い』ですから。ほとんどの保護者さんは、4月の段階で
「本当に大丈夫なの??」
と思うでしょう。
「この先生は教えてくれないの?」「ウチの子が躓いても放って置かれるかも。」「塾に通わせなくちゃ駄目かしら。」「クラスでいじめが起きても知らんぷりかも。」
なんて感じで、ネガティブに捉える人も少なくないでしょう。そういう人が居ても仕方ないですし、むしろ、自然な発想だと親として思います。



ですから、わたしは、「罪滅ぼし」をしながら学級経営をしているのです。
学習発表会で多少見栄えのする発表を目指したり、学級通信を多めに発行したり、「元気賞」の類を出したり、毎日手書きの宿題を出したり、ノートに細かくコメントを書いたり。そういうことで、児童や保護者さんに「こんな担任でごめんなさい。その分、頑張れるところは頑張ります。」と伝えているのです。



また、児童や保護者さんに受け入れてもらうことで、管理職や教育委員会・事務所への「言い訳」という意味もあります。一般的ではないことをやっていても邪魔されないためには、それなりの努力と結果が必要なのは仕方ありません。
ですから、自分のことだけ考えれば、こういう頑張りは必須だし、苦にはなっていません。必要だからやっていることですからね。こういうことが出来ないなら、授業でも何でも「普通」と言われることをやればいいんです。
人と違うことを、公教育の中でやるんですから、多少の努力と苦労は仕方ないんですよ。
だって、わたしは少しでも「良い授業」をしたいんです。そのために「良い授業」とは何かを考え続けるたいし、そして、自分の授業が少しでも「良い授業」に近づいているかを確認したい。そのためには、多少の犠牲は仕方ない。そう考えています。だからこそ、東書教育賞に出品しましたし、その受賞を保護者さんや子供達や地域の方々が喜んでくれたことが嬉しかったなあ。
「授業」という幹を守るためには、余計な枝葉を伸ばす努力や苦労を厭うべきではありません。



けれど、周囲からすると、そうとは言い切れないでしょうね。
例えば、わたしの仕事を見ていて、枝葉の努力ばかりが目につき、本体が見えない人もいるでしょう。わたしは、『学び合い』で学級経営を進めていくために、要らない苦労をしているのです。でも、その努力や苦労が、『学び合い』を成立さえている、と思われてしまうことが多々有ります。
また、SNSの中では、「その努力や苦労が出来ない人は、『学び合い』をやるなって言うのか!?」と攻撃を受けることがあります。そんなことはわたしに言われても困ります。そんな苦労をしなくても済めばいいのに、と思っているのはわたし自身ですから。そういう枝葉の努力をせずに幹を保てる方法があるなら、わたしに教えて欲しいです。とは思いつつ、そう言いたくなる気持ちも分かります。ある人からは「他の先生には、自分が目指しても届かない場所に、高橋先生が簡単にたどり着いたように見える」と言われたことがありますから。他人の苦労なんて、誰にも分からないんですよね。それはわたしも同じだし。


ということで、わたしは、自分自身がインフレーション化を促しているのだと自覚しつつ、その罪滅ぼしと解決策として、こうしてブログを書いているのです。また、自分の実践を少しでも世に出したいと思うようになっているのも、同じ理由です。