『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

変態?普通?の二項対立を超えて

わたしは自分が「普通の教師」だと理解しているにも関わらず、「変態」と言われることがあります。ど変態なあの人とかあの人から「変態だ」言われるので、少々憤慨しておりました。
自分としては、周囲とのバランスを大切にする小心者だと思っておりますので、それを別の変態さんに理解してもらえた時には、嬉しゅうございました。


また、自分を「普通」と称するのは、勘違いしない為でもありました。
尊敬できる方々と接していると、自分も同じレベルに達したような気持ちになってしまうもの。ですから、「自分なんてまだまだこれから学ばなければいけない存在だ。」ということを忘れない為に、「自分なんて何も特別なことのない教師です。」と言い続けていました。実際、わたしなんて、教師としての才能はないのです。


けれど、わたしのそういった態度が、時として他の方を傷つけることがあるのだいうことも分かってきました。
信頼できるある人から、
「他の人がどうやっても出来ないことが、高橋先生には出来る。その陰に隠れている苦労は他の人には見えない。だから、他の先生は、高橋先生のことがどうやっても理解できない。そうなれば、時には妬まれることも仕方ない。」
と言われたことがあります。その時には、
「何言ってるの。俺だって普通の人間だよ。」
と言い返したのですが、最近になって、そういう「わたしなんてまだまだです」という態度が、周囲の方々(それは主にネット上ではなく、実際にわたしと接している方々)にとっては邪魔くさい遠慮なのだと分かってきました。
また、昨年度、東書教育賞優秀賞を受賞した時にも
「他の方だって取る気になれば、こんな賞なんて取れるでしょう。その気がないだけで。」
と発言し、
「それ、本当に嫌味だから絶対に人に言っちゃダメだよ。」
と注意されたこともあります。でも、本気でそう思ってるんですよね。(だからここに書いちゃったけど。)でも、あんまりそういう発言はしない方が良いということも、だんだんと理解してきました。


さらに、昨年度からは、自分にはアウトプットがもっと必要だということを自覚しています。アウトプットがないと、インプットしようという気が減っていくのです。
でも、アウトプットするからには、自分の取り組みにそれなりのプライドを持っておきたいなあと思います。もちろん、謙虚さを忘れずに。


まだまだ、自分が変態だとは思えないのですが、でも、もう少し自信を持って自分の取り組みを外に出していこうという思いが急激に膨らんできています。
「俺なんて普通です。」
という気持ちは変わりませんが、でも、
「普通の教師が、普通の公立校でも、ここまで出来ます。」
と自信を持って語れるように、自分を磨いていこうと思います。
(ここ数年、こんなことをグルグル考え続けているんですけどね。)