『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

お楽しみ

多分、2学期の最後には「お楽しみ会」や「クリスマス会」をやる学級が多いと思います。
わたしも、そういうのは嫌いじゃありません。今年の学級でも、3回ほど集会活動をやっていますし、非常に盛り上がっていますし。
でも、全然「やろう!」という雰囲気がないんですよ、うちのクラス。なので、「お楽しみ会を開く程度の企画力は十二分にあるクラスなのになあ。」と思いつつ、放っておきました。



昨日・今日と校内の他のクラスでは、お楽しみ会真っ盛り。それを見て「やりたい。」とか「やれば良かった。」とか言うかと思っていたら、それもありません。なので、「何でかなあ」と思いつつ、またも放っておきました。




さて。
今日の5時間目は算数でした。1週間の最後は脳みそをちゃんと使って締めたいので、算数にしているんです。
その始まりに、こんなことを語りました。
「2学期は、台風が原因で休校が2日もありました。本当は、学び直しの時間がもっと取れるはずだったのに、1学期よりも少なくなってしまって申し訳ない。けれど、限られた時間をフルに使って、苦手なところ、自信が無いところをやっつけてしまいなさい。」
ウチのクラス、普段はしっとりまったり学び合っていますが、こんな風に火を着けた時の学び合いは、めちゃくちゃ熱いです。脳みそから煙が出ているのが分かります。今日は特に、セカンドランナー達の動きが素晴らしかった!いつもは「教え役」に忙しいトップランナーが暇でヘラヘラしていたほどです。2学期の最後に相応しい学び合いだったと思います。(月曜日もあるけれどね。)


印象的だったのが、子供達の言っていたこんな言葉。
「そうか。11時間も損してたのか。」
「台風なんて来なきゃ良かったのに。」
そして、今週も、毎週金曜日にわたしが発しているこの言葉で授業が終わりました。
「時間すぎてるから、勉強はここまで。帰りの準備をしてくださいね。」


で、薄々分かってはいたのですが、改めて感じました。
このクラスが「お楽しみ会」をやろうとしなかったのは、授業が「お楽しみ」だからなのです。そして、そう思っているのは、わたしの考えが鏡のように映っているのです。もちろん、お楽しみ会は楽しい。でも、それは学校生活の中の「口直し」のようなものです。寿司屋のガリは美味しくても、でも、なんと言ってもメインは寿司です。ガリは寿司の合間に摘む物。同じように、わたしにとっては、お楽しみ会は楽しくても、でも、なんと言ってもメインは授業です。お楽しみ会は合間に摘む物という感覚です。
これは、あくまでわたしの感覚。けれど、担任の心の中が、学級の方向性を決めます。


もちろん、勉強よりもお楽しみ会が好きな子もウチのクラスには居ると思います。それが自然な姿。
でも、わたしのクラスでは、勉強が楽しいという子が多数派で、しかし、少数派の不満が爆発しないようにその思いを吸収する柔らかさと、巻き込んで一緒に勉強する強さを兼ね備えた集団になっている、それは担任であるわたしの考えが知らず知らずに映っている、ということです。
お楽しみ会がどうこうではなく、集団が育っているのが嬉しいのです。



教師が子供達に与える影響の大きさに恐れおののくような気持ちが半分。
自分のクラスが普段の勉強を楽しめる場となっていることが嬉しい気持ちが半分。
そんな心境です。