『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

みゆき会の特殊さ

学期末の殺人的忙しさが一段落しました。わたしの様子を見て、わたしの代わりに腹を立ててくれた同僚が、半分冗談半分本気で「高橋先生、倒れていいよ!」と言ってくれるくらいの忙しさでした。でも、そんなことを言ってくれる職場ですから、口だけじゃなく手も貸してくれるので、倒れずにすみました。ヨカッタヨカッタ。


それだけ忙しいと、どうしても学級に悪い影響が出てしまいます。教室以外に意識があると、子供達はそれを敏感に感じ取りますから。「見ていない」というのは、恐ろしいことです。教師が信じて任せているのか、ただ単に見ていないのか。集団はそれを見分けます。そして、教師が見ていなければ「重要ではない」と判断します。その綻びから崩れていきます。それは、どんなに育った集団でも同じでしょうね。



もちろん、わたしの学級でもそうです。忙しさが学級の綻びに繋がったことは、一度や二度ではありません。だって、本当に超多忙なんだもん!ふざけんな!!と言いたいくらいに。言ってたけど。
でも、わたしとわたしの学級が崩れずに済んだのは、みゆき会のおかげなのです。



わたしがみゆき会から学んだことは、「学ぶことは快楽」ということ。
多くの教師は、学ぶことは辛いこと、嫌なことと捉えています。典型的な考え方は「苦手なことを頑張って、努力して、出来るようになったら嬉しい」というもの。これって結局は、辛い勉強を乗り越えると、その後に嬉しさが待っている、ってことで、勉強を辛いことと捉えているんですよね。勉強=辛い という考えは、なかなか根強いと思います。
けれど、みゆき会は、勉強=快楽。学ぶこと自体が楽しい。わたしの解釈では、学ぶことはよりよく生きること。よりよく生きられるのだから、人間は本能的に学ぶことを求める。そう考えています。心の底から「勉強しろ」と求めます。楽しいことだから、躊躇しません。そして、好き嫌いしません。学ぶことは何だっていいんです。特別な教材は用意しません。教科書だけでモリモリ学びます。教師が黒板に書いた問題だけでモリモリ学びます。
特別な教材が使われる時って、少しでも興味を高め、理解を深め、いかにも子供達が発見したように錯覚させるために行われることがほとんどでしょう。でも、みゆき会はそんなことしません。教科書だけで、十分に興味が高まるし、理解も深まるし、子供達は教師が把握できないほどの多くの発見と学びを得られると考えていますから。
この辺りが、みゆき会の特殊さなのかもしれませんね。



もし、わたしが勉強を辛いものと捉え、辛い勉強にいかに向かわせるかという常識に縛られたままだったら、わたしが辿っていた道は二つでしょう。
一つは、どんなに忙しくても子供達のために超面白い教材を用意しよう!と努力し続けて、本当に倒れる。
もう一つは、こんなに頑張ったんだからもういいよね、と自分を正当化して、勉強をやらない子、できない子を生み出す。
普通は倒れる前に手を抜くでしょうから、後者の道を選んでいたと予想されます。




実際は、倒れることもなく、自分を正当化することもなく、ゆったりまったりと学び続けることができました。
何故、それが可能なのか。ちょっとだけ書いておくと、
1 最大最強の教材は「◯◯」である。
2 結果を出す、ということ
3 他人を信じる、ということ
4 学び続ける、ということ
といった感じでしょうか。


あ、大切な事ですが。
わたしのクラスだって、全員が「勉強は快楽!」と完全に納得しているわけではありませんよ。
わたしが「勉強って楽しいだろう!」というオーラを発していて、2割の子がそれを吸い取って「勉強って楽しい!」と思っていて、6割が「よく分からないけど、楽しそうにやってるから、俺も私も楽しもう!」と思っていて、2割は「勉強なんて大嫌い」と思っているのに気がついたら巻き込まれて勉強している。そんな感じです。勉強して怒られる人はいませんから、反対派2割もせいぜい、このクラスなら嫌いな勉強をするのも悪くはない。という程度。この『学び合い』理論に基づく学級経営も、わたしには必須です。
ちなみに、『学び合い』を成立させるために、わたしが大切にしていることも
1 最大最強の教材は「◯◯」である。
2 結果を出す、ということ
3 他人を信じる、ということ
4 学び続ける、ということ
の4つに、
5 語ること
を加えた5つなのです。



色んなものが融合してきたので、今のわたしは授業を本当に楽しめています。
これで学級外の仕事が今の半分だったなあ。