『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

成功する『学び合い』はどこが違う?

Blogに書評を載せることをずっと避けていました。書評を書く時には、読み手を誰に設定すれば良いか分からなかったからです。著者を想定するのか、これからその本を読む人を想定するのか、既に読んだ人と感想を交流するのか。その辺りがはっきりしなかったからです。
しかし、自分でも本を書きたいと思い始めてから、その辺りがクリアーになりました。自分のために書きます。わたしは、これから本を書くための勉強として、本を読み、その発見を記しておきたいと思います。



さて。
ということで、今回、この本の感想を書き記しておきたいと思います。

成功する『学び合い』はここが違う!

成功する『学び合い』はここが違う!

水落先生と、あべたかさんの共著です。きっと、既に読んだ方も多いとは思いますが。
この本は、西川先生以外の方が書いた『学び合い』本ということで、非常に注目しておりました。感想として、驚かされたこと2つ、共感したこと3つ、疑問点を1つ記したいと思います。


まずは驚かされたことの一つ目です。それは、一言で言うと「こういう手があるのか」ということ。
この本にも繰り返し書かれていますが『学び合い』は考え方です。でも、考え方を伝えるって難しい。本書ではそれを伝えるために、あえて様々な具体的な「方法」を示しているのだとわたしは感じました。
「はい、どうぞ、の『学び合い』しか『学び合い』ではないのか。」という疑念の言葉は、わたしも聞いたことがあります。わたしは「はい、どうぞ」派です。けれど、それ以外はダメなのか?と問われると、何とも言えません。わたしだって、最初に色々と説明したり、途中で付け足したり、軌道修正したりすることもありますから。
あべたかさんは、ご自分の豊富な実戦経験を基に、はいどうぞの『学び合い』以外の方法を示しておきながら、その上で最終章に『学び合い』浸透論として、「教師の言葉が減る」と記しています。なるほど、本を書くためには、こういうスマートなやり方もあるのか!!と膝を打ちました。
二つ目は、『学び合い』を「目標と学習と評価の一体化した授業である」と定義したこと。西川先生は「一人も見捨てない」が『学び合い』の第一のルールだ、や、『学び合い』の根幹は「一人も見捨てない」という願いだとBlogに書いています。わたしも、そう思っています。しかし、水落先生は「目標と学習と評価の一体化」と書くのです。なんとまあ!
この多様性って、とても大切な事だと思うのです。『学び合い』が広まる上で、必要なことなのだと理解しました。
もちろん、水落先生は見捨てて良いと思っているわけではないでしょう。その思いは、「WE」という表現で書かれています。そのスマートさも、なんとまあ!です。


次は、共感したことについて述べたいと思います。
一つ目は、「『学び合い』をしているか?と問われると即座に具体的に説明するのは難しい」という言葉。わたしも、意気込んで授業をしているのではなく、普通に授業をしているだけです。というか、『学び合い』は考え方なのですから(わたしは、経営理論と捉えています)、「今日は『学び合い』で授業をしよう!」というのは本来はおかしな表現なのです。このあべたかさんの言葉がありつつ、先に述べたように具体的な方法も記されている幅の広さが、本書の特徴だと思います。
二つ目は、「非能率的な仲良し組になっていないか」という言葉。わたしは、仲良しグループで和気藹々と喋ってはいても学力向上に結びつかない『学び合い』を「助け合い型『学び合い』」と呼んでいます。『学び合い』はグループ作りのエクササイズとは根本的に異なります。非常に大切なことだと思います。
三つ目は、あべたかさんのあとがきです。あべたかさんのお書きになった『学び合い』の本を出すことが夢だった二つの理由。それが、ぴったりとわたしの思いと重なるのです。「いいね!」ボタンがあったら、100回くらい押したい気持ちで読み終えました。



最後に一つだけ、疑問点を。
P159〜160に記されている「教師の立ち位置」の図。わたしは、どれも『学び合い』には当てはまらないんじゃないの?というのは正直な感想。
この話は、直接、あべたかさんとお話してみたいと思います。


本書を読んだおかげでますます、自分でもアウトプットがしたくなりました。
わたしがやっていること、考えていること、感じていると、悩んでいること。それをどんな形で表現していこうか、と頭がぐるぐる大回転中です。