『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

『学び合い』は連帯責任じゃないですよ

時々、『学び合い』に対して「連帯責任」という言葉を使って批判する方がいらっしゃいます。わたしの頭の中は「?????」です。最初期の『学び合い』=「みんなができるようになろう」だって、「連帯責任」になんてなりません。

わたしにとっては『学び合い』と「連帯責任」って全く結びつきません。

 

例えば、100点満点の漢字のテストで0点をとってしまった子が居たとしましょう。その時に「0点の子がいるのは、クラス全体の責任だから、クラスの全員が漢字10ページ練習する」というのが連帯責任ですよね?こんなこと、『学び合い』では絶対に求めませんよね??

わたしならこう考えます。「0点の子を5人が助けてくれるとするなら、一人10個教えてくれたら、100点になっちゃうじゃん。10人教えてくれるなら、一人5個でいいじゃん。そうやってみんなでちょっとずつ助け合えば、0点なんてもう取らなくなるよ。まあ、みんな均等に教える必要はないから、20個教える人もいれば、1個の人がいてもいいけど」※1問2点で考えてます。

こんなイメージです。これって連帯責任ですか?何て言えばいいんでしょう。「分散責任」とでも言えばいいですかね?

誰だって、苦手なことはチョロっと助けて欲しいでしょう?助けて欲しければ、自分も助ける側に回れる時は回ればいいんです。時には助け、時には助けられる。それが回っていく集団にするのが、わたしの最初の仕事。

 

連帯責任の問題点は、効率が悪いことですよ。漢字の得意な子が10ページも練習しているくらいなら、別なことやった方が集団にとってプラスでしょう?わたしにとっての『学び合い』は経営理論です。そんな効率の悪いことは、邪魔でしかありません。

 

というわけで、『学び合い』は「連帯責任」からものすごく遠いところにあると思うんだけどなー。