若い教員の方は様々な「御指導」を受けることでしょう。腹が立つこともあるかもしれませんね。わたしも、若い時は腹を立ててました。でも今は、昔と比べて「素直に受け入れるられること」が増えていると自己評価しています。
それは、自分が「指導する立場」に立つことも増えたので、指導する側の難しさも理解できるようになったからだと思っています。
「指導する」って難しいです。
高く険しい山を越えてきた人間は、軽々しく「お前もこの山に登れよ」とはなかなか指導できないでしょう。だって、その苦しさや危険性を誰よりも理解しているんですから。
大した山を越えていない人は、簡単に「お前も登れよ」と言えちゃうのかもしれません。なかには、自分では登れない山を、しれ〜っと「わたしは登りましたよ。あなたも登りなさい(¬_¬)」って言う人もいますね。さらにタチが悪いのは、架空の山をでっち上げる人。いるんでるよねえ。
最近は、上記の違いを嗅ぎ分けることができるようになってきました。昔は驚いていましたよ、「えー!そんな山を越えてきたんですね。すげー!」って。でも、最近はハッタリが見破れます。だからこそ、受け入れる価値のあることも分かるようになったし、素直に受け入れられるようにもなったんだなあと、自分では考えています。
きっと、今は色々と指導されて苦しい若者も、徐々に嗅ぎ分けられるようになりますよ。それまで、ちょっと修行だと思って耐えなくちゃいけないのが、辛いですけれど。でも、誰でもそのうち歳をとりますから、もう少し我慢だーーーー!!
一方わたしが修行しなきゃいけないのは、自分が「価値のある話」をできるようになること。そういう歳になってきたんだよなあ。