『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

簡単とは言えませんけれど

私が『学び合い』を難しく感じているのはなぜなのだろう、と考えました。私が『学び合い』を始めて約6年。正直なところ、自分が『学び合い』をやるだけなら、特に困ることはありません。でも、「簡単だ」とは言えずにいます。それは、なぜなんだろうな。

 

それは、技術が全く通用しないからかもしれません。「うまくいかない時には、○○してみましょう!」なんていう技術が通用するのは、最初の数回だけ。その技術が教師の「考え方」や「在り方」と一致していなければ、子供達に見破られます。常に自分の考え方を問われる。そこが難しいのですね。

例えば、「失敗した時は、素直に子供達に謝りましょう。そして、仕切り直しましょう」というのだって、“テクニック”として行っていると子供達に見破られそうで、私は恐ろしい。

「ああ、学級の状態を悪くしたのは、自分だな・・・。」

と感じているからこそ、謝罪の言葉が相手に届くはず。そして、心から謝罪しているなら、教員のその後の行動が変化するでしょうから。それが見られなければ、いくら謝罪の言葉を並べても、子供達は聞かなくなるでしょう。じゃあ、心から謝れば必ず上手くいくってわけでもなく、その謝罪が本気なら本気なほど、

「先生、もうやめてくれ!」

という子が出るのです。「先生の謝る姿は見たくない」という手紙を貰ったこともあります。涙を流しながら手で耳を覆い、私の謝罪の言葉を聞くのを拒否されたこともあります。ああ、この仕事は本当に難しい。そして、怖い!「簡単です」とは言えません。

 

また、最近の私は、授業中、笑っているか、ふざけているか、疲れているかのどれかです。疲れているのは、隠せないほどに疲れているから隠そうとしてバレているだけですが、基本的には笑っているのが一番だなあ、と思っています。でも、作り笑いをしていたら、そのうち子供達に気持ち悪がられるでしょうね。

「俺はお前達が好きだぜー!」「このクラスに居ると落ち着くぜー!」

っていう気持ちがこもっているかどうか、ちゃんと分かる子には分かるのですから。笑っているのが大切なんじゃなくて、笑っていられる教員で「在ること」が大切なんですね、きっと。

 

もう一つ。

『学び合い』をやるには責任が伴うと思ってます。だって、「人と違うことをやっている」のですから。

『学び合い』を始めた当初は、子供達も保護者も不安です。その不安を可能な限り早く払拭する責任があります。

『学び合い』が継続するには、子供達の「頑張り」が必要です。その頑張りを「結果」や将来の幸せに結びつける責任があります。

そして、今年度も残り半分。子供達も保護者も不安です。『学び合い』に賛同してくれているからこそ、「じゃあ、担任が変わったら、どうなるの!?」という不安。それも払拭する責任があります。もちろん、手は打っています。

人とは違うものを敢えて選んでいる責任は、他の「一般的な授業」をやっている方よりも重いと感じています。

 

だから、私は『学び合い』を簡単だとは言えないのです。

でもね。

『学び合い』をやっている後輩に

「最近、どう?」

と聞いたら、こう答えました。

「いやあ、難しいです。でも、やっぱり『学び合い』は楽しいですから」

 いい言葉を聞けたなあと思います。私も同じ感覚です。

『学び合い』は簡単じゃないけれど、でも、楽しい。
難しさを楽しめるって、現時点で『学び合い』を継続していく一つの「コツ」みたいなものかもしれません。あくまでも「現時点」ですよ。

将来的には、もっと楽になるようにしないとね。