『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

色々あるけれど

昨日の参観者である赤いダイヤさんからフィードバックをいただきました。

ありがとうございます。

2015-11-03 - 赤いダイヤの独り言 - 『学び合い』

 

私は『学び合い』に対して、一つの懸念があります。それを確かめるためにいくつか逆質問をさせていただきました。多分、赤いダイヤさんの「コーヒー」の例えは、それを受けてのお話だと思います。なるほどなあと思いますが、でも、そこが「危ない」と思うのです。良い「考える素」を頂いたので、ちょっと私の感じていることをぶっちゃけておきます。

 

赤いダイヤさんが言うように、色々な味があっていいし、それは授業者によって違うのは当然なのですが、でも、それはナンデモアリとは別でしょう。もう少し具体的に書くと、色々なコーヒーがあるように色々な『学び合い』があっていいのですが、でも、コーヒーといって中身が紅茶では良くないように『学び合い』と言って『学び合い』じゃないモノなのは良くないと思っています。

なんて言うと偉そうに聞こえてしまうかもしれませんが、もちろん、コーヒーと紅茶に優劣がないように、『学び合い』と他の教育実践に優劣を付けようという気はサラサラありません。ただ、『学び合い』じゃないのに「全員が出来る」とか「一人も見捨てるな!」と言われたら、子供達は非常に厳しいんじゃないかな。

 

『学び合い』かどうかを判断するにはどうすれば良いかというと、「3つの観」に則っているか否かだと私は断言します。(3つの観をご存じない方は、こちらをみてくださいね。)西川先生や水落先生が判断するのでも、あべたかさんのような著名な実践者さんが判断するのでもなく、「3つの観」に則っているかどうかを議論し、判断しなくちゃいけないはずです。だって、『学び合い』とは「子供達が相談する授業」のことではなく、「3つの観に則った授業」なんですから。(通じますか?)

が、それがなく、「色々あっていいんですよ」になってしまったらまずいですよね、というのが、私の懸念の根っこなのです。「守」がなきゃ、「破」も「離」もないんですから。『学び合い』で大切なのは、現象ではなく、その奥にある考え方=3つの観なんだというのが、私の強い考えです。