『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

運命ってあるのかもしれないなあ

振り返れば、初任で担任したのがあのクラスじゃなかったら、きっと私の教員人生が変わっていたでしょう。無我夢中だったなあ、あの時。その後に持った3年生は、本当に可愛かった。教職の喜びを3年目でやっと味わえたかも。その後に持ったのは1年生。あの経験も貴重でした。子供達を赤ちゃん扱いしたくないのは、あの時の経験があるからです。その後に持ったクラスで「卒業学年を持つ」楽しさが分かりました。その後は連続で高学年続き。その繰り返しがあったから、自分の実践の弱点が年々明らかになったのだと思います。

 

私が『学び合い』を始めたのは、「ある子」がいたからです。ある子の幸せを願って『学び合い』を始めました。あの子がいなかったら『学び合い』をやらなかったかも。今頃、超王道一斉授業をやって、出世を目指していたかもしれません。

私が『学び合い』を続けられたのは、「あの子達」だったからです。スタートがあのクラスじゃなかったら、安定的に『学び合い』を続けられなかったかも。あなた達のおかげだよ、ありがとう。
私が『学び合い』から離れられなくなったのは、「あの時」があったからです。忘れられない悲しみ。そして、その後の言いようのない苦しい日々。『学び合い』じゃなかったら、乗り越えられなかったと思います。

私が『学び合い』の力を心の底から信じられるのは、「あの子達」がみるみる変わっていく姿を見たからです。集団の持つエネルギーを、人は成長できるのだと、私は確信しているのです。

私が『学び合い』を自然なものと感じられるようになったのは「この子達」のおかげです。私が今まで担任した中で、もっとも人数は少ないけれど、もっとも個性的なクラスかもしれません。その多様性が、自然な学びの姿を私に気づかせてくれました。

 

 

さて、つい最近、「私が無意識的にやっていることを、言語化する」という課題を自分に課しました。そうしたら、その課題解決の一助となるようなことや、解決しなきゃいけなくなるようなことが次から次へと、ヒュンヒュンと飛んできました。

驚きです。

運命ってあるのかもしれません。

 

そういえば、私が「みゆき会」の二人と出会うきっかけになった「子どもの未来をつくる会」に入る時、坂内さんと古田さんからこう言われました。「この出会いは、偶然じゃなくて必然だから」

今思えば、その言葉の通りでした。

 

きっと、今、私の身に起きていることは、偶然ではなく必然なのでしょう。