『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

新年にふさわしく

あけましておめでとうございます。
せっかくの新年ですので、わたしの信念に基づき、暑苦しいエントリーで開始したいと思います。


年末に、ちょっとした閃きがありました。本当に些細な気づきです。しかし、その小さな鍵が、わたしの疑問を開き、大きな納得をもたらしてくれました。


『学び合い』は考え方である。そう繰り返し言われています。わたしは、それを理解するために『学び合い』は経営理論である、という言い方をしてきました。簡単に言うと、教師の考えに積極的に賛同してくれる2割を掴み、その2割に従う6割が動くことで、残り2割も巻き込む、という理論です。
それは間違いではないと思います。ただ、「なぜそうなるのか」を上手く言葉にできていませんでした。自分のクラスを見て、そうなることは納得しています。でも、そうなる理由が分からなかったのです。
分かってみれば簡単です。「人間には学び合う本能がある。」ということを、わたしは誤解していました。それがわたしの気づきです。
「人間は、分からないことは人に聞くのが一番」「人間は、人に教えることで自分の理解を深める」という程度で、学び合う姿を考えていました。そうじゃあないんだなあ。「人に聞く」「人に教える」ではないんだなあ。「人間は、人に教えている時に、教えた以上に自分が新たな学びを獲得していく」のですよ!「学ぶ本能」ではなく、「学び合う本能」なのじゃ!
例えば、物語文の学習で「登場人物の心情の読み取りを教えている子」は、物語の読み方や語彙や文法的な知識といったその課題はもちろんのこと、そこに加えて、人の励まし方だったり、逆に馬の合わない人との距離の取り方だったり、そういったことを学んでいるのです。『学び合い』でキーパーソンになるような子は、将来的に様々な場でリーダーとなるような子でしょう。そういう子が20年度・30年後にも役に立つようなことを学んでいるのです。
もちろん、その方向性は単純な一方通行ではありません。子供達の学びは乱反射し、穏やかで眩い姿を作り出します。だから、教えている子も学んでいる。


そんなことを学べるのは、学校以外ありません。加えて、それを本当に学べるのは「一人も見捨てない」を本気で目指す集団の中だけです。だから、「一人も見捨てない」という願いが『学び合い』の本体なのです。


なんで気づかなかったんだろう。子供たちが毎日毎日めちゃくちゃ学び合っている姿を目にしていながら、こんなに簡単なことに気づかなかったんですから、アホです。もう少し賢く産まれたかったなあ。「折り合いのつけ方」って深いなあ。「多くの人が自分の同僚」ってこういうことなんですね。そして、だから『学び合い』なんですね。「教え合い」でもなく「関わり合い」でもなく「学ぶ」でもなく『学び合い』なんですよ。


ということで、今年もよろしくお願い致します。