『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

潮目

今後、「外」に出るに当たり、『学び合い』という言葉を使わない場合には、アクティブ・ラーニングという言葉を使うつもりでいます。
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20141121/1416562650


わたしは、わたしが関わる全ての子供達に幸せになって欲しいと思っています。
初任で担任した子供達も、もう20代半ばを迎えています。全員が幸せであって欲しいと願っています。今は辛いことがあっても、まだまだ人生は長い。だから、前向きに人生を歩んで欲しい。その先で幸せに出会って欲しい。そう心から願っています。
もちろん、初任で担任した子達だけではなく、その後担任した全ての子に幸せになって欲しいのは当然のことです。
今、20歳を超えたはずのあの子達も、高校生のあの子達も、中学生のあの子達も、今担任している子達も、一人残らず幸せになって欲しい。
また、自分のクラスだけではなく、他のクラスの子だって、幸せになって欲しいと思っていますし、TVや新聞やネットニュースで不幸なニュースを見ると、胸が痛くなります。
世の中から、「不幸せ」が無くしたい。本当にそう思います。


けれど、わたしには世の中から不幸を消し去るような力はありません。全ての子を生涯に渡って守れるはずもありません。
無力感に打ちのめされつつ、それでも全ての子の「幸せ」を願っています。そのために子供達に伝えているのが、「学び続けること」。

  • 自分が幸せになるために、学び続け、成長し続けて欲しい。学び続けていく上で、人間は本能的に人と繋がっていく。学校ではその有用性をできるだけ多く経験しておいて欲しい。けれども、本能的に繋がれる人数には、どうやら限界があるようだ。数人程度の繋がりでは弱いけれど、それで終わってしまう子もいるはず。だから、学校において、数十人・数百人・数千人という繋がりを作れる子も育てたい。そうすれば、数人程度の繋がりしか持てていない子も、「友達の友達」繋がりで、大きな繋がりの中に巻き込まれる可能性が高くなる。その繋がりを力に、幸せになって欲しい。もちろん、大きな繋がりを作れるようになった子も、その繋がりの中で幸せになって欲しい。

それがわたしが考える戦略です。わたしが考えたのではなく、『学び合い』とみゆき会での取り組みから学んだことですけどね。


だから、わたしが最も教えたいことは「繋がりの有用性」と「繋がりの保ち方」です。
集団は大きければ大きいほど「強力」です。でも、大きな集団は、その分、全体を把握するには高い能力が必要です。疲れます。小さな集団との繋がりで済ませたい人がほとんどのはずです。楽ですから。
けれど、疲れるからといって、繋がりをブツりと断ち切ってしまっては損なのです。日常的な繋がりを保つのは少数でもいい。けれど、何かの折には必要に応じて助け合える程度にゆるい繋がりを保っておく方が、人生において有用なのです。
それを学んでいるのが、『学び合い』の授業。国語や社会や算数などの授業全ては、それを学ぶための「ツール」です。わたしは教科の学習を大切にしていますが、それはなぜかと言うと、学校は教科の学習がしやすいように作られているから。学校においては、教科の学習を使って「繋がりの有用性」と「繋がりの保ち方」を学ぶのが最も効率です。
結果として、教科の学習も身に付きます。その上で、人と繋がることの有用性やゆるく繋がる感覚も学べます。


そして。
繋がりの有用性と保ち方を子供達に伝えるためには、わたしがそれを経験し、その実感を背中で示す必要があります。
普段は、少数の繋がり=家族や親しい人たち を大切にしつつ、必要に応じて大きな繋がりを結ばなくてはいけないのです。大きな繋がりを、疲れるからと言って避けていると、自分のできることがどんどん減っていきますから。
大きな繋がりを得ようとした時、「アクティブ・ラーニング」は良いですね。
そして、ESDも、使えそう。


アクティブ・ラーニングにしても、持続可能な開発のための教育(ESD)にしても、文科省が言っていることは「追い風」だなと感じています。時代が我々に追いついてきましたね(笑)良い潮目です。