『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

理論通り

わたしは『学び合い』の理論は正しいと信じ切っています。なぜなら、『学び合い』の手引きに書いてある通りにやると、書いてある通りの結果が出るからです。
過去、どのクラスにおいてもそうでした。合同『学び合い』を行った学級でもそうでした。一緒に『学び合い』に取り組んだ同僚のクラスでもそうでした。
わたしの個人的な経験ですから、一般化するにはサンプルとしては少なすぎます。けれど、わたしが個人的に信じる分には十分な経験をしています。
『学び合い』の理論は正しい!はず。
厳しい言い方ですが、書いてある通りの結果が出ない方は、書いてある通りにやっていないんじゃないかと思います。


とは言いながら、わたし自身が何でもかんでも、『学び合い』の理論通りにできているわけではありません。
日曜日には、一例として、宿題のことを話しました。
『学び合い』の理論通りなら、本来、宿題は必要ありません。
結果を求め続ければ、必要な学習を必要なだけ家庭でやってくるようになるはずだからです。
でも、実際にはそうはいかない場合があります。
イマキヨさんが、「理論とは例えば『摩擦はないものとする』という世界である」ということをいつぞやおっしゃっていました。なるほど、と思いました。
残念ながら、現実では摩擦があります。宿題を出さなければ、保護者との間に摩擦が起きてしまうのです。
これまた『学び合い』の理論通りに考えるなら、保護者集団に対して宿題を出さない理由を説明すれば、その意図を理解してくださった方が他の方を説得してくれるはずです。
でも、わたしにはそこまでやれる力がありません。そんなことをしている暇もなく、集中砲火を浴びるでしょう。


ということで、理論に反して宿題を出します。
宿題を出すことによるマイナスは、絶対にあります。わたしも感じています。トップランナーにとっては、宿題なんて邪魔ですから。
でも、出さないことによるマイナスよりも小さいと判断を下して、宿題を出しているのです。
じゃあ、どういう宿題を出しているのかというと、なるべく多くの児童が取り組め、かつ、予習や発展的な学習も取り入れ、その上、各自の創意工夫もできる物になるよう心がけています。そんな宿題は市販されていませんから、毎日、手書きです。以前に同学年を組んだ先輩が出していた宿題を、わたしなりにアレンジしたものです。結構、手をかけています。普通は、そこまで宿題に手をかけないと思いますが、でも、教師が児童の学びに関与する場合、生半可なことではマイナスが大きすぎるのです。


だから、本来は、理論通りの方が「簡単」なのです。
理論通りにできるなら、ね。
そして、理論を知った上であれば、その通りにできない場合は仕方なく理論を破っても良いのではないでしょうか。仕方なく破っても、集団はなんとか持ちこたえてくれます。その場合は、ちゃんと子供たちに説明しなければいけませんけれど。


中には理論なんてよく分からん!という方もいるでしょう。そりゃそうです。ただ、理論を知っている人と繋がっていることを強く強くお勧めします。そして、聞けば良いのです。「これって、理論に反してますか?」って。
理論に反した行動を取り続けると、『学び合い』は成立せずに、集団は崩れていきます。簡単に崩れます。ですから、何かあった時に「その方法は、理論に反しているよ」と教えてくれる人がいれば安心でしょう?そして、話しているうちに、段々と理論を学んでいけるはずです。


といことで、わたしは、大きく大きく広めていくことよりも、少数で良いので、濃く伝えることを考えています。
大きく広めることは、わたしよりも向いている人がいます。例えば、仙南の会のG先生。G先生は自分の勤務校で生徒主体の全校『学び合い』を行っているだけではなく、同じ市内の全中学校に『学び合い』実践者を生み出してしまったのですから、参ってしまいます。脱帽ですよ。わたしには、そんなことできません。


わたしに何ができるのかと考えた時、わたしには、その大勢の人に「それは違うんじゃないの?」と言ってあげられる濃い人を生み出したいなあと考えています。
本当は、わたし、薄味なんです。
字際に会った方には、「ブログの印象と違いますね」とよく言われます。
でも、そこは頑張って、自分を煮込んでいこうと思います。