『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

握れないか、握りっぱなしか

今後、アクティブ・ラーニングが行われていく上で、二つの失敗があるだろうな、と予想しています。それは、「握れない」授業か、「握りっぱなし」の授業です。
以前、西川先生が講演で「ギュがないから、パッと放せない」という話をされていました。(あれは確か、震災前。場所は、東松島だったと思います。)その話が、非常に印象的でした。それまでは、わたしは「授業の間口を狭める」という言い方をしていたのですが、それ以来「放す前には、しっかり握る」という言い方もするようになりました。


わたしがやってしまいがちな失敗は、「握りきれていないのに、放しちゃった!」です。例えば、単元の始まりに表を配って課題を明示したはずなのに、子供たちがやっていることがこちらの想定と大きく違う!なんてことがあります。ゴールまでの道のりが、わたしの想定と違っても良いのですが、目指しているゴール自体が違うんじゃないの!?という時には、「ゴメンナサイ、先生の言い方が悪かったようです」と方向転換させなければいけません。これは、単元の始まりで「握れていなかった」のです。子供達にこちらの意図が通じていなかった失敗。


わたしがこの失敗が多いので、世の中の教員全体もそうかな、と思っていたのですが、坂内さんに指摘されて「なるほど」と思ったのが「握りっぱなしで、放せない」失敗。こっちの方が断然多いですね。
イメージとしては、「鵜飼」なんて言葉も使われます。わたしのイメージだと、リードに繋がれた犬がウロウロと歩いていて「自分で歩いているんだから、能動的だし、アクティブでしょう?」と言われているような感じです。リードの長さという条件付きのアクティブ、信頼も自由もないアクティブ。そんなんで学べるの?と思ってしまいますが、けれど、リードを装着した人は善意で着けているのです。「これがないと、迷っちゃうでしょ?事故に遭ったらどうするの?」って。
よーく考えると、この「リード」は、色んな形で存在していることに気づきました。私たちは、様々なもので子供達の学びを縛っているのです。そこに無自覚だから、子供達を放せないんだなあ。


では、子供達を「握る」にはどんなことが必要なのでしょう。
そして、「放す」には何を捨てれば良いのでしょう。
この話、長くなりそうなので、しばらく引っ張ります。