今日、ある方に頼まれて、『学び合い』を始めたばかりのころのことを書きました。
そして、その直後に起きた様々な「奇跡」を思い出しました。
『学び合い』を本気でやると、教室に様々なドラマが産まれます。時には、奇跡としか思えないようなことも起きます。
わたしが混ぜ物をしない『学び合い』を指向しているのは、それを経験しているからです。
混ぜれば混ぜるほど、奇跡は起きにくくなると思います。だって、集団のパフォーマンスが教師の力に左右されてしまいますから。
奇跡を起こす能力のある教師だったら可能かもしれませんが、少なくともわたしには、そんな能力はありません。
ただ、最近はそのドラマに慣れて、わたしに感動が生じにくくなっていました。
無感動な教師は、奇跡を阻害するような気がします。
わたしは停滞しているのかもしれません。次のステージを探さなくては。