『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

ぶれないために

教師が児童の前に立つ時、その方針は絶対にぶれない方が良いと考えます。
優れた教師ほど、軸となるものが明確で、ぶれません。実際に会ってお話を聞くとよく分かります。
逆に、話がコロコロ変わる、善悪の判断基準が曖昧ではっきりしない教師だと、児童は苦労するでしょう。
児童が教師に対する信頼を失くしていく様子を傍らで散々見てきましたが、多くの場合、そのきっかけは「人によって言ってることを変えてるじゃん!」「この前と言ってることが違うじゃん!」の二つです。


複数の方から、「なおたかは、キャラが立っている」「個性が確立している」と言われます。
自分では全く自覚はありません。が、信頼できる方々がそうおっしゃってくれているので、キャラの濃い奴だということに一応はしておきましょう。これからはあいさつの枕詞にしようかな。
「皆さんこんにちは。キャラの濃い男、たかはしです」みたいな。
でも、「ぶれない」と言われると「そんなわけがありません」と答えます。
ブレない人間なんていません。むしろ、わたしはブレやすいタイプなんじゃないかと自己評価。人の目が気になるタイプなんですよ、本当に。


ぶれやすい自分を自覚しているからこそ、それを防ぐ方法も常に考えています。その方法とは、簡単に言えば、拠り所を教師以外にも求めるのです。
わたしの場合、現時点でいきついたのは“法”です。法律はぶれない。学習指導要領はぶれない。だから、積極的にそれらを使います。例えば、学級のルールも「傷害罪」「窃盗罪」「侮辱罪」「名誉毀損」といった法を基準に考えれば、ぶれが少なくなります。勉強だってそう。「俺は国語、やりたくない!なんでやらなきゃいけないんだよ!」という言葉に対して、わたしがぶれずに説明する根拠が「学習指導要領」でした。


もちろん、これが唯一無二の方法だとは思いません。他にも良い方法がたくさんあることでしょう。例えば、K先生は、「対話」ということをおっしゃっていました。語っても児童が納得してくれない時には、対話を通して理解してもらう。なるほど、と思いました。対話を通して得られた合意なら、教師がぶれても児童が気づけるでしょう。
わたしの場合、頭に血が上りカッとなりやすい自分の弱点と、屁理屈好きな性格を生かして「法律」なんてものを持ち出して語るのだと思います。
K先生の場合、あの温かな包容力を生かして対話を行うのでしょうね。もちろん、対話を成立させるには相応の技術も必要なはずです。
結局は、「自分」次第なんですよねえ。


「語りは、内容ではなく、その人の肚が伝わる」
そういうと、一部の人からは「いや、内容が大切だろう」と反発を受ける時があります。そういう気持ちは分かります。内容は大切です。
けれど、どんなに良い内容でも、伝わらない時があるのは事実。結局は、内容と肚が一致している時に、より強く伝わり、集団が動くのでしょう。
重要なのは、語っている内容と、教師の考えと、それを語る姿と、普段の行いと、それらがしっかりと融合していることだと思うんです。わたしは、ぶれないために、そう心がけています。
もちろん、心がけてもそう簡単にはできません。だから『学び合い』は難しいのです。
けれど、心がけていると集団は応えてくれます。だから『学び合い』はやめられないのです。