『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

評価者

Facebookで“アクティブ・ラーニングをどう評価するか”という話題を読みました。
そこにコメントしても良かったのですが、長くなりそうなのとイマイチまとまりに欠ける文章になりそうだったので、自分のところ(このブログ)に書いておきたいと思います。


以前から、わたしは保護者や児童は学校における顧客ではない、と考えていました。
http://d.hatena.ne.jp/nao_taka/20130205/1360052511
学校・教員は経営者。保護者・児童はそこで共に教育活動を営む仲間。そういう感覚です。
学校が行う教育活動に保護者や児童は従事することで、報酬として“学力”を身につける。そんなイメージ。
でも、その“学力”というのが段々と変わってきたのだと思います。文部科学省はちょっと前から“生きる力”という言葉を使っています。にも関わらず、学校では知識理解を重視してきた!?そうでしょうか。中高は分かりませんが、少なくとも小学校では“教員にとって都合の良い振る舞い”が重視され過ぎてきたと、わたしの目には映ります。知識重視よりももっとタチが悪いですね。


アクティブ・ラーニングというのは、そういう“教員にとって都合の良い”価値観にノーを突きつけられたのだと思います。
「もっと違う力を身につけなさい!」
という世の中からのダメ出しというのがわたしの理解です。ああ、怖い!
学校における顧客は、社会全体だと思うんです。だって公立学校は税金で運営されています。保護者だけではなく、納税者全体が顧客でしょう。もちろん、個人だけではなく企業だって含まれます。だから、学校の教育活動は世の中のニーズに合うものである必要があるのです。
児童が身につける“学力”が世の中のニーズに合致しなければ、保護者や児童は学校の教育活動に参加しなくなるでしょう。もしも普通の企業が報酬として社会で通用しない貨幣を与えたら、労働者はどんどん辞めていくでしょうからね。今までは、学校の不甲斐なさを社会全体でフォローしてくれていました。でも、その余裕がなくなってきているのをひしひしと感じます。
このままでは、顧客=社会全体から見放されるかもしれません。財務省が「教員を減らすぞ!」というのも、その前兆のような気さえしています。文部科学省フリースクールを認めるというのも「今のままの学校じゃダメなんだぞ。代わりはあるんだからな!」と言われている気分です。ああ、怖い怖い!


となると、アクティブ・ラーニングにおいて本当に求められる評価ってどういうものなのかが見えてくるような気がします。
それは、世の中で必要とされる人材に育っているかどうかでしょう。で、そうなったら、学校や教員は評価する側ではなく、評価される側になるのだと思います。
ああ、怖い怖い怖い!
なんちゃって。