『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

酷い先生というより、先生って呼ばれちゃいけないレベル。

Facebookで若い先生が力不足を嘆く投稿をしていたのを読んで、自分の初任者の頃を思い出しました。
私は、本当に酷い初任者でした。何度か書いていますが、「その辺の兄ちゃんがプラっと学校に遊びに来たみたいだ」と言われたこともあります。本当にそんな人間でした。
初任の教え子達には「ごめんなさい」という気持ちです。酷い先生というより、こんな奴が先生って呼ばれちゃまずいんじゃないの??というレベル。もちろん、犯罪を犯していたわけじゃありませんよ。そういうことじゃなくて、「もっとできたことがあるよなあ」って15年経っても感じるのです。

私が初任の時は、郡山市内の全小中学校の中で新卒の新採用は2人だけでした。(私の初任地は郡山市だったのです。)中学校の新採用は全員講師経験有。小学校での新採用が新卒の2人。しかも、もう一人の新採用者は1年目から「先生然とした雰囲気」だったので、郡山市内では私が一番「教員ぽくない人」だったかもしれません。長くやっても教員ぽくない方もいますけど、でも、私もなかなかでしたよ。ある公共施設に児童を引率して行ったのに、そこの職員さんが私を教員だと信じてくれなくて困った経験があります。「髪型が」とか「服装が」とか「持ち物が」とかじゃなかったんでしょう。そういうのはそれなりに気をつけてましたよ。それでも全体的に教員ぽくなかったんだろうなあ。

 

その教員ぽくなさが、今になって役に立っている面もあると言えばありますが、でも、そんなのはただの気休めです。また、「俺は初任の時から凄かったぜ!」系の話を聞くと何とも言えない気持ちになります。何なのだろう、この感情は。


私が、「もっと良い先生になりたい」と心の底から感じるのは、スタートが「本当に酷かった」からです。今の自分は多少なりとも成長できたのだろうか、と未だに不安になります。

 

ですから、苦しんでいる若い先生を応援しています。
共に進みましょう。私も諦めません。

毎年「どうやったらこの子たちを幸せにできるのだろう」と考えて、悩んでチャレンジして後悔して改めて、そして小さな喜びを積み重ねてきました。今年もそうです。子供達の将来を見据える「長さ」は伸びてきていますが、でも、基本的な考えは変わっていないと思います。
まずは3学期の残りを必死にもがいて、子供達を精一杯育てましょうね。