『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

「知っている」「分かっている」より「出来ている」

私は、自分が駄目な人間だとよーーく分かっています。教員としても駄目だと自覚しているし、向いてないのも知っています。

 
基本的に中身が薄いんですよ。「人間性」では勝負にならない(笑)私の昔からの友人は、よ〜〜〜く分かってくれると思います。
 
で、そんな私が生き抜いていくために大切にしてるのが「結果」です。
学校って基本的に「私は分かっている」「知っている」っていう職員の集まりだと思うんです。先日、ある場所である人から「あなたは本質を理解してない!」って罵倒されたのですが(笑)、その人は「私は本質を知っている!」っていうことでしょ?すごいなー。勝てないなー。自信満々なんだなー。私みたいな馬鹿とはちがうんだろーなー。
そう思って私はその場はただ笑っていました。
でもね、その場にいた何人かは、私と私のクラスの出した「結果」を知っているんです。だから、固まってましたよ、周りの人が。
⬆︎
この発言で分かるでしょ、私の人間性の低さと頭の悪さ。
 
私は最終的には「出来ている」かどうかが重要だと考えてます。結果が出てるかどうかですよ。本質を知っていても、分かっていても、出来てなかったら偉そうに言えないじゃーーーんって。結果で勝負でしょ?って。
もちろん、その物差しは多様であるべきでしょう。テストの点数でも子供達の姿でも、他のことでも何でもいいんですが、でも、ちゃんと「私は言ったことが出来ている」っていう結果がないとね。
 
ということで、「知っている」「分かっている」よりも、「出来ている」と言えるように心がけています。まあ、どんな結果を出そうとも満足することなんてないんですが、そういう矛盾もまた、楽しんでいます。