「何をやるか」から「何ができるようになるか」へ
明日からは平成28年度です。
新年度の目標として、「若い先生に授業のことを教える」というものがあるので、今のうちにちょっと考えを整理しておきます。
若い時は、毎日のように「明日の授業は何をやろうかな」と考えていました。授業で大切なのは「何をやるか」。本やネットで、子供達が喜びそうな活動や盛り上がりそうなネタをしょっちゅう探していました。
でも、これだと子供達に力がつかないんですよね。
こういう教員の下で典型的な子供の姿が「先生、次は何をやるんですか?」ってやつですね。受け身。指示待ち。そして、先生は好きだけれど、友達とはイマイチ仲良くない集団。先生としか話せない子の存在。
そこから抜け出すために私が身に付けたのが「この授業では何ができるようになればよいか」という授業のねらいを考えることでした。
新しいネタを拾い集める上で、「子供達が喜んだかどうか」ばかり考えていては、子供達は育たないのですよ。「子供達がねらいとしたことを身に付けたかどうか=成長したかどうか」を考えることで、指示待ち赤ちゃんのような集団ではなく、成長していく集団をイメージできるようになってきました。
ただ、この「ねらい」Levelに達していない、もしくはこのLevelと「何をやるか」Levelとを行ったり来たりしている方をよく見ます。難しいんですよね。分かるなあ、私自身もそうでしたから。「何ができるようになればよいか」を考えても、「できてないなあ。じゃあ、何をやればいいんだろう」と元に戻っちゃうんです。だから、行ったり来たりする。例えば研究授業でも、指導案を立てる時には「何ができるようになればよいか」=授業のねらいを話し合っていたのに、事後研究会では「ああすれば良かった」「こうすれば良かった」「私ならこうやった」と「何をやるか」Levelの話しかなされないことって多いですよね。
私がそこから抜け出すきっかけになったのが、私が師と仰ぐY先生との出会いでした。
つづく