『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

欲しいのは、居場所

学級で乱暴な振る舞いをしたり、授業の妨げになるような言動を繰り返したりする子に対して、職員室等で「あの子は構って欲しいんだろうね」と言われることがあります。私も以前は使ったことがありました。
でも、最近はちょっと違うかなと感じています。
構って欲しいわけではなく、欲しいのは「居場所」だと思うのです。

「構って欲しんだろうね」という言葉を聞いて感じる問題点は、多くの教室では、ある種の寂しさを抱いている子に対するアプローチが「教員が構ってあげる」という方法しかないのだ、ということ。だから、そういう子をどうにかしたいと思った時に「構って欲しいんだろうね」という言葉がでるのかな、なんて思っています。

私は、友達との関係の中でちゃんと居場所ができれば、乱暴な振る舞いは減っていくと感じています。一方、「構ってあげる」を繰り返していくと、「構って欲しい」子がどんどん増えていきます。教員が個別に対応できる人数には限界がありますから、そのうち「構って欲しいけれど、構ってもらえない」子が居場所を求めて、ますます乱暴な振る舞いをしたり、授業の妨げになるような言動をくり返したりすることになるでしょう。


それにしても、「構ってあげる」という言葉が嫌だなあ。けれど、「あの子は居場所が欲しいんだろうな」という言葉も、それはそれで悲しくなりますけれど。