以前にどこかで耳にした話ではありますが。
「Aという手立てによって、主体的にBさせる」というのは、おかしな話ではないでしょうか。この場合、本当に主体的にBをした、と言えるのでしょうか。
主体的に学ぶって、私の経験で言えば「チャイムが鳴っても、やりたい子は勉強を続けている」とか「次の次の次の単元まで勝手に勉強しちやってる」とか、そんな姿をイメージします。
これって、何らかの手立てによって生まれたわけじゃないですよ。勝手に、です。
「主体的な学び」の反対の言葉は何でしょうね。「主体」の反対だから「客体」でしょうか。客体的な学び。イマイチ(笑)。
でも、AによってBさせられていたら、いつまでたっても「お客さん」ですね。お客さん的学び。お、これは昨今のサービス業と的な学校にピッタリかも。