ちょっと前に、ある所でこんな話を聞きました。
学級崩壊をしたクラスを立て直す時には、前年度、崩壊の中心にいた「影響力の強い子」を「リーダー」に指名すると良い。
その子達に「整列の指示」や「宿題の確認」などの役割を与えることで、その子達の自尊心を満たしつつ教員の「下」に置き、学級を掌握できる。
私はこの時、瞬間的に「この方法はやめてくれ〜」と感じました。上記の方法で怖いのは、教員が無意識のうちに「いじめの素」を作っているからです。
その時は、「やめた方がいいと思いますよ」と言うべきか迷いに迷って、結局は何も言えませんでした
どこがいじめの素なのでしょう。
リーダーに指名された子は、教員のお墨付きを得て、整列の遅い子、宿題を忘れた子を注意します。教員が「遅い子や忘れた子よりも、リーダーの子の方が力が上だ」と言っているようなものですから(多分、実際にそう思っているからリーダーに指名しているのでしょう)、その注意はどんどんエスカレートします。
「整列してください。」
が
「早く整列しろよ!」
になり、そして
「早く並べって。」
になり、
「おせえって言ってんだろ。ふざけんなよ。」
になります。その後に「馬鹿」や「鈍間」が付くのは時間の問題です。もちろん、教員のいないところでしょうけれど。そして、そのリーダーは教員にはこう言います。
「先生、●●君はいっつも並んでくれません。」
その時、教員はどうするのでしょう。遅い子を叱れば、ますますその子は責めらます。叱らなければ、リーダーに指名された子はますます不満を募らせます。並ばない子が悪い。教員がそう考えてたら、その子はますます……。ああ、やめてくれ〜!いじめの素になる〜!
教員からお墨付きを得ているリーダーは、いつも迷惑をかける遅い子に怒りを募らせることでしょう。最初は「手を引っ張る」程度でしょうか。そのうち、「小突く」かな。叩く、蹴るまで起きるのも、そう珍しくはないでしょう。ああ、やめてくれ〜!
リーダーにされた子は、自分の行為を「いじめ」と認識している場合もあれば、認識していない場合もあるでしょうね。
これは完全に私の「妄想」です。ただし、それなりの「理論」と「経験」に裏打ちされた妄想です。当たっているのか、はずれているのか……。
でも、「リーダーを指名すべき」と思っている人には、何を言っても分かってはもらえないでしょう。私なりの「方法」を提案しても、怒りを買うか、無視されるか、悩ませてしまうか。
説得しようとしても、無駄なのですよ。ですから、私は口を閉じました。
けれど、そのクラスの子供達のことを想像すると、胸が苦しくなります。「やめてくれよ〜」と強く強く願います。どうか私の「悪い妄想」が外れていますように、と祈るような気持ちになります。
ちなみに私は、クラス作り直す時には、よく「中心をずらす」という作戦を取ります。今まで学級の中心と見なされてきた子(上記の方法でリーダーに指名されるような子)が学級の中心になるような価値観とは別の価値観を示すのです。具体的に言っちゃうと、その価値観とは「一人も見捨てない」なんですけれど。
それをどう語るかは、学級の状況によって異なります。例えば、「強い奴が偉い学級じゃなくて、優しい奴が偉い学級の方が、みんな幸せになれるじゃん。」なんて語ったこともあります。もっとストレートに「今まで起きた嫌なことを繰り返さないためには、このクラスの価値観を変えなきゃいけない」と言うこともあります。
何にせよ、私が新たに提示した価値観を認めるかどうかは、児童がそれぞれに判断します。それが2割を超えるかどうかが最初の勝負。
そして、リーダーも、子供達がみんなで決めればいいのです。私の経験上、上手くいっていなかったクラスほど、「教員が決めたリーダー」と「子供達が決めるリーダー」は一致しないものです。逆に、学級経営が上手くいっている時には、けっこう一致するものだと感じています。
という私の考え方が「それほど的はずれじゃないな。」という経験を積めば積むほど、苦しくなるのです。だって、私の妄想が当たっているかもしれないとも感じるんですから。
頼むから、外れてくれよ、頼むから。