『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

教員よりも、子供達が

子供達が主体的に学ぶ授業を目指すために、私が心がけていることがあります。
それは、「教員じゃなく、子供達が行うべき」というものです。

例えば、国語の音読の授業。
昔の私は「どうやって音読を練習しようかな」と考えて様々な手立てをとってきました。人数は一人が良いのか、ペアがいいのか、グループがいいのか。句点ごとに交代するのか、段落ごとか。声の大きさは大きくか小さくか。飽きずに練習するにはどうすればよいか。どんな表現の工夫をすればいいのか。

色々なことを考え、悩んでいました。
これらは、多くの教員が音読の指導で考えることでしょう。
児童が主体的に学ぶ授業というと、「こういうことを指導しないでやらせっぱなしなんだろう」と勘違いされてしまう場合が多々あります。けれど、私は、これらをどうでも良いこととは思いません。
そうではなくて、授業の主体が児童自身なんだから、こういうことを悩むのも子供達であるべきだと思うんです。


「ただ読めばいい」じゃ、学修じゃありませんよね。

「どう読めばいいだろう」と考えるから、学修なんです。ただし、考えるのは、教員じゃなく児童自身。


「どう読めばいいだろう」と考えられる子供達を育てるために、

  1. 教員が「子供達はできる」と信じている。
  2. 教員が「あなた達はできるよ」と伝えている。
  3. 子供達が「自分達はできそうだ」と感じている。

ことが必要だと感じています。「子供集団は有能である、という子供観」が必要ってことです。

まずは教員が子供達を信じ、その上で「子供達をその気にさせる」ことで子供達は動き出します。

けれど、その先があります。
T:「あなた達にはもっとできるよ!」
C:「もっとって、例えばどういうことなんですか?」
T:「それはね、こういうことだよ。」
と教員が示すこと。もっと高いレベルを示すには、教材や教科の力が必要になります。

 

さらには、もっとその先があります。
T:「あなた達はもっともっとでき…。」
C:「先生、もうやってます。」
T:「はいはい、じゃましてごめんね。」
です。「もっともっと」のレベルを教員よりも子供達自身考えるのです。
私は幸運にも、3・4・6年生と3年間担任し『学び合い』に取り組んだ学年があったので、この感覚が掴めました。私の力量では、この状態まで高めるには、1年ではちょっと足りないかもしれません。


さて、その先は?
やっぱりこれも、「この先ってなんだろう?」と教員よりも、子供達が考える集団を作りたいですね。