『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

好かれないということ

確実に「三日坊主」になると思いますが、自分のやっていることを意識的に言葉にするシリーズの第2弾。

 

今日は「好かれない」について。

 

私は「子供に好かれない」を心がけています。嫌われたり嫌がられたりしたいわけではありません。子供達との距離を遠くすること、担任は仲間ではないということ。それを意識して行動しているのです。

 

なぜなら、子供達と平等に接したいから。

初任の時、私は子供達と平等に接することが出来ない教員でした。

だってね、サッカーばかりやっていたから。朝、出勤したら職員室の掃除をしてサッカー好きな子達とサッカー。休み時間もサッカー。放課後もサッカー。初任研の出張の後、職員室に戻らずにスーツ&革靴のまま子供達とサッカーやったこともあります。下校時刻を過ぎ、暗くなってもサッカーやっていて保護者さんから電話がきたこともあります。「ウチの子が帰らないんですが」「あ!まだ担任とサッカーやってます」みたいな。どちらも校長に怒られました。



これをある種の武勇伝や笑話として語ることもできるでしょう。
でもさ、今ならわかるんです。
これじゃ、学級の仲が悪くなります。
担任が楽しくサッカーばっかりやっていたら、サッカーを一緒にやる子とやらない子で断絶ができます。また、サッカーの得意な子と苦手な子で断絶ができます。

それに気づいて、私は子供達と平等に接することの難しさを知りました。

じゃあ、平等に接するにはどうすればいいのでしょう。ずっとずっと考え続けて、私が出した答えは「子供達と距離を取ること」です。
子供達に近づけば近づくほど、子供達一人一人と私との距離の違いの差が大きくなります。私との距離が「1」の子と「2」の子と「3」の子では、「最大で3倍も違う!」となってしまうのです。
けれど、私が子供達から遠ざかれば、違いが目立たなくなります。私との距離が「101」の子と「102」の子と「103」の子では、「大して変わらん」となるでしょう。

だから、好かれない、子供との距離の遠い教員になろうと思っています。

 

ちょっと抽象的なので、もう少し具体的に書きます。
例えば、「先生の誕生日を祝おう」という話が出たら断ります。「そんなことしなくていいから、だったら、仲間の誕生日を祝いなさいよ」とはっきり言います。こんなこと言ったら、好かれませんね(笑)
他にも「お楽しみ会には混ざりません」と言います。これもはっきり言います。スポーツ集会みたいなものも見ているだけです。本当はその場にも居たくないのですが、安全管理の責任があるので仕方なく居ます。サボりたいわけじゃないですよ(笑)
あとは時々、「先生お助け係」みたいなのを作ろうとする子がいるのですが、却下です。これも言います、「先生なんて放っておいて、仲間を助けないさいよ」と。ああ、嫌な先生だ(笑)

 

念のため申しますが、これは駄目な私が、「子供との距離感をできるだけ遠くにした方がいいだろう」という私の考えに基づいて、私がやっていることってだけです。これが一般的な正解だとは思っていません。子供達に誕生日を祝ってもらう先生、素敵です。いいクラスじゃないですか。何も悪くない。

それに、距離を取ろうとする私に対して、寂しさを感じている子がいることも分かっています。
「俺は、みんなのことが大好きだけれど、でも、みんなから好かれたいなんて思ってないよ。俺のことなんて大嫌いでいいから」
と豪速球で言い放ったこともあるのですが、その時の子供達の悲しそうな顔は忘れられません。信頼する元同僚から
「それは言っちゃいけなかったと思うよ。『私は先生のことが大好きなのに、好きじゃいけないの?』って泣いてるよ」
と叱られました。うん、実際に泣いてました…。それ以来、あんまりストレートには言わないようにしています。
が、心の底から思うんですよ、

俺のことなんざどうでもいいんだよ。俺よりも、仲間を大切にできるクラスの方が100倍いいじゃん!

って。


う〜ん、こうやって書くと、やっぱり私って、どこか異常なんだな。歪んでる(笑)書いていて苦しい!
若い先生方は、こんな私を反面教師にして、子供達に好かれるキラキラした素敵な先生になってくださいね。