『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

「We」誌12月号で泣く

昨日は新幹線の中で雑誌「We」の12月号を読んでいた。石川晋さんの連載が載っているためこの雑誌は知ってはいたが、購入は初めて。

Femix information website -隔月刊誌We-

特集の『福島の「いま」を訪ねて』を読みたいというのが直接の購入動機だったが、他の特集や連載も良かった。

特に「休めない子ども・追いつめられる子どもたち」が効いた。満席の新幹線の中で泣いてしまい、人前で読んだことを後悔した。

児童・生徒が「学校に行きたくない」と口にした時、それが「家庭の問題」「その子の弱さの問題」と捉えられてしまうケースがなんと多いことか!時には「その子をいじめる子の問題」とされる場合もあるが、それは「いじめる子の家庭の問題」や「いじめる子の気質の問題」へとすり替えられてしまう。

これを学校の問題、教室の問題と捉え、それはつまり「自分の問題だ」と教員が考えられたら、どれだけの子が救われるだろう…。

いや、そう捉えたら、多く学校は耐えられないのだろうな。


私は、現代において家庭だけで人を育てることは基本的に不可能だと考えている。だから、子供達が育つ上で家庭以外の場所が必要だ。それが学校以外の場所でも良いとは思う。公立学校が合わない子のために、私立の学校やフリースクール等、多様な居場所が用意されていれば、救われる子もいるはずだ。
だが、現実問題として、私の勤務地のような場所に私立の学校やフリースクール等が豊富に設置されることはないだろう。だから、私は、公立学校の教員として、学校を「多様な子が居られる場所」にしていかなければならない。

学校は今、「耐えられない」ことだらけ。今までの学校や学級や授業に入りきらない物がどんどん増えているし、今まで誤魔化してきたものが誤魔化せなくなってもきている。
だから、学校は変わらきゃいけないし、変えたいと願っている人は意外と多い。でも、どう変えればいいか分からない人が多いのだ。そこにつけ込んで、結構好き勝手にやっているのが、最近の私だったりするけれど。
もちろん、私なりに努力はしてきた。でも、もっと急がなくちゃいけないのだと、大いに焦り、苦しくなった新幹線の車内であった。