『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

アドバイス

今日は、同僚のО先生に偉そうにアドバイス。

まずは、集団を見る時、一部を取り上げて見てはいけないよ、という話。
一部に着目すると、全体が分からなくなってしまう。いわゆる「木を見て森を見ず」の状態になる。これが続くと、集団がいびつになる。授業者の視線に子供達が惑わされるからだ。

次に、集団全体を見なければいけないのだよ、という話。
一部に着目しない、というのは何も見ない、ということではない。学級の状態を把握しなければならない。
昨日参観したО先生の授業では、子供達の関係性・流動性がイマイチだった。それは「A君が教えていない」とか「Bさんが聞きにいけていない」という個々の行動が問題なのではない。例えば、「分からないなあ」というつぶやきに誰も反応できていないことが気になった。
というと、「分からないと言った友達を見捨てるな!」という気持ちの問題にしてしまいがちだけれど、私はそうは考えない。それよりも、周囲が教えに行けるほどに分かっていないのではないか、と考える。トップランナーがガッツリと学べていないという問題と捉えたい。
トップランナーが学べないのは、多くの場合、ゴールが曖昧だから。そして、ゴールが曖昧なのは、は、授業者がゴールがどこか設定できていないからだ。

授業のゴール=到達点を明確にするため必要な方法としては、教材研究が一般的だろう。私は教材研究もしている。実は、それ以外の方法でゴールを明確にする方法を知らないわけじゃないが(そして、実践しているが)、諸事情あってあんまり公言したくない。西川先生の本に書いてあるから、ぜひ、探して欲しい。どの本かは、私は覚えていないけれど。
とにかく、方法は何でもいいから、トップランナーがもりもりと学べていない時には、授業のゴールがはっきりしているかどうかを考えて欲しい。もちろん、ゴールは授業者によって変わるもの。だから子供達も迷うのだ。

という話を今日の放課後にちょろっとしたのであった。