若い頃には「子供達に試されている」と感じることが度々あった。子供達が何か“悪いこと”をしたり、子供達が私に質問してきたりする時に、「これは、子供達が俺の教師としての力量を試そうとしているんだな。どんな指導をするのか、どんな答えを言うのかを見られているんだ。これは負けられない!」なんて感じたものだ。
気が付けば、そんな変な気負いは減ってきた。
理由の一つ目は、私は子供達と対決しているわけではないのだ、ということに気付いたから。負けられないなんて考えは、必要ないよね。
理由の二つ目は、私が答えに窮するような質問をしてくるのは嬉しいことだと感じるようになったから。学校の矛盾点を突く質問や私が「そんなの当たり前だ」と深く考えないでいたことを子供達が考えている。それは指導者として嬉しいことだよね。それを「試されてる」なんて感じていたのは、ある意味、自信がなかったのかも。
理由の三つ目は、自分が完璧な振りをする必要がないと気付いたから。できるだけ的確な指導をしたいし、的確な答えを示したいとは思う。でも、完璧な指導や完璧な答えを示せるとは思わない。それよりも、私より的確な答えを探し出せる子供達を育てることが、私の仕事。私が気負って頑張るんじゃなくて、子供達に頑張ってもらわなくちゃいけない。
ということで、「試されている」と感じることはめっきり減った。なんとな〜く感じる場合もあるけれど、笑顔で対応できることが増えた。
正直に言うと、対決気分に陥ってしまうこともゼロではない。が、直ぐに後悔する。子供達は試してなんかないよ。こっちが勝手にそんな勘違いをしているだけなのだろう。まあ、子供達の心の中は分からないから、試されている可能性はゼロじゃないけど、例えそうだとしても、だから何なの?と思いたい。子供達と対決して(いるような気分でいて)、どんなメリットがあるのだろう。
対決ムードの人に「まだ子供達と対決して消耗してるの?」なんて言ったら怒られるだろうか。