『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

Facebookとブログ

ブログを書きながら、ちょっと悩んでいたことがある。

それは、「Facebookで繋がっている方と、私が知らないブログ読者の方との違い」である。昨夏の『学び合い』フォーラムでも、複数の方から「ブログを読んでいます」と声をかけていただいた。11月のみゆき会セミナーでもそうだ。私の書いたものを、私がお会いしたことがない方々が読んでくださっている、という事実に感動した。
同時に、その時にいただいた質問に答えながら、「本を書きたい」と強く思った。

『学び合い』は始めたばかりの時期、つまり4月当初と、その後の2〜3か月後でちょっと授業の様相が変化すると思っているのだが、多くの方からの質問を受けると、「やっぱりそうか。この壁で悩むのか」と確信した。同時に、私が考えていた以上に『学び合い』の最初期段階はクリアーしている方が多そうだぞ!と嬉しく感じた。
さあ、一緒に次の壁を乗り越えましょう!
と思う。その先導役こそ、俺の出番でしょう!と言ったら、調子に乗り過ぎだろうか。まあ、控えめな私らしく、「一緒に頑張りましょうね」くらいにしておこうか。


と思う一方で、Facebookで私のブログについての感想を寄せてくださるのは、ある程度、『学び合い』を継続できている方ばかりだ。こういう表現は好きではないが「上手くいっている実践者」だろう。(私自身はそういう言われ方をして何となく嫌な思いをしているが、分かりやすくこの表現を使わせてもらう。)そういう人は「悩んでいるふり」をよくする。「上手くいっている」と言葉にしてしまったら、その油断が学級に影を差す。「上手くいっている」人ほど、「上手くいっている」なんて言わない。
けれど、分かる。私にしょっちゅう絡んでくるのは、「上手くいっている」人なのだ。上手くいっていない人は、私に絡めない。だって、私は濃いから。特農だから。健康な人じゃないと、胃にもたれてしまう。
で、そういう人とのやり取りは楽しい。私自身も非常に勉強になる。そうすると、考えることが「そっち寄り」になる。

これが悩みだった。
心では「3か月の壁に苦しんでいる人が、2学期にその壁を乗り越える役に立ちたい!」と考えているが、どうしても「私と絡みやすい人」との繋がりを楽しんでしまう。チャンネルが上手く切り替えられずにいたのだ。

ということで、Facebookからちょっと距離を置くことにしたのである。せっかくFacebookで繋がれた方も多いので、全く使わないわけではないけれど、私のメインの使い方は「ブログ更新のお知らせ投稿」だったので、それだけは止めることにした。

SNSは、どうしても「自分と親和性の高い人々との繋がり」が濃くなってしまうなあと思う。自分が良い気分になるための繋がり、と言ってもいい。それを産みの苦しみから逃げる口実にしていたので、退路を絶った。

というのは言い過ぎか。シンプルに言えば、「Facebook見てないで、原稿書けよ、俺!」ということだ。